Weapons Bring About Tragedy: Shooting Sprees and Terrorism in the US

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米銃乱射テロ 悲劇は武器がもたらす

 世界のリーダーは「テロには屈しない」と宣言する。確かに、暴力と恐怖が支配する社会は真っ平ごめんである。ならば、テロリストに武器を与える社会を返上する取り組みも、同時に強めねば。

 残念ながら、パリ同時多発テロやカリフォルニア州での銃乱射テロは、米国内のイスラム教徒に対する差別的風潮を広げている。

 二〇一六年米大統領選の共和党指名候補争いで、首位を走る不動産王トランプ氏は「イスラム教徒の米国への入国を全面的かつ完全に禁止する」という驚くべき公約を打ち出した。

 扇動的なその主張が支持率を押し上げているのは象徴的だ。これとは対照的に、反イスラム感情の高まりによる国家分断を憂える理性の声は埋没しがちに映る。

 多様な宗教や民族、人種などの融合こそが米国の原動力のはずである。過激派組織「イスラム国」が仕掛けた罠(わな)にはまり込み、自壊への道を歩まないよう願いたい。

 「テロ打倒のためには、イスラム社会を疑いと憎しみに追いやるのではなく、最強の味方にせねばならない」。障害者支援施設でのテロを受け、オバマ大統領が急きょ結束を呼び掛けたのも、国家の危機を直感したからに違いない。

 言うまでもなく、直接の脅威はイスラム教でも、過激思想でもない。人々を殺傷する武器である。

 米国が抱える病的な問題は、おびただしい無辜(むこ)の犠牲者を出しながら銃規制の動きが鈍いことだ。留学中だった高校生服部剛丈(よしひろ)君ら日本人も命を奪われている。

 過激思想に感化されたテロリスト予備軍を探し出し、凶行を防ぐ情報戦も重要ではある。ただ、往々にしてそれは、人々の不自由やプライバシーの侵害を招く。

 簡単に銃や弾薬を調達できないよう規制を強化する方が賢明だし、効果的だという理屈は、誰しも了解可能ではないか。オバマ氏の指導力があらためて問われる。

 米紙ニューヨーク・タイムズは「銃の流行病」と題した社説を掲げ、政治家の責任を追及した。

 「政治家は銃器市場をつくり出すことで、殺人願望のある連中をけしかけ、有権者はそんな政治家に仕事を与えている」

 幸いにも、日本が比較的安全とされる理由のひとつは、銃や火薬類の取り締まりが厳格だからである。化学兵器が使われた地下鉄サリン事件からも教訓を学んだ。

 テロとの戦いを主導する立場にあればこそ、武器が自由を奪うという現実を米国は直視すべきだ。

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