どうもみやです。本日もお越しくださり、ありがとうございます!太平記の第13回「攻防赤坂城」です。後醍醐天皇(片岡孝夫さん)は捕えられますが、各地の反幕府勢力は抵抗を続けていました。楠木正成(武田鉄矢さん)も山岳ゲリラ戦術を駆使し、わずか50 佐々木道誉が足利高氏邸に逃げ込み、長崎円喜に土下座して「お慈悲を」と泣きついた。日野俊基は鎌倉で処刑された。 Amazon.com で、NHK大河ドラマ 太平記 完全版 第壱集 [DVD] の役立つカスタマーレビューとレビュー評価をご覧ください。ユーザーの皆様からの正直で公平な製品レビューをお読みください。 私本太平記でも楠木正成はすぐに応諾はせずさんざん逡巡する。ドラマでは久子や水分の農民たちも描き、かつ武田鉄矢の朴訥なしゃべりもあって、その迷いがよく伝わってくるようだ。 29: 2019/12/29(日) 22:32:08.06 ID:livG8RIU. どうもみやです。本日もお越しくださり、ありがとうございます!往年の名作大河ドラマ太平記の第11回「楠木立つ」です。笠置山に立てこもった後醍醐天皇(片岡孝夫さん)。六波羅軍は後醍醐天皇側に敗れ、さらに鎌倉から幕府軍を派遣することになります。 正成が題材となった作品としては、大河ドラマの『太平記』や、小説の『楠木正成(上下)』や『道誉と正成』などがありましたね。 南北朝の合一後も、南朝の影響は随所に現れてくるので、楠木氏の動きと合わせて注目してみてください! 太平記(35)「大逆転」 222コメント ; 36KB; 全部; 1-100; 最新50; ★スマホ版★; 掲示板に戻る ★ULA版★; 1 衛星放送名無しさん 2020/11/29(日) 05:26:55.11 ID:/3LyTeAc0. NHK大河ドラマ 太平記 完全版 第四巻 [DVD]/真田広之,武田鉄矢,陣内孝則¥6,300Amazon.co.jp太平記 第三十五回『大逆転』 登場人物(… 尊氏 正成と密かに会う。 尊氏は新田・楠軍に北畠顕家軍に負け摂津まで逃亡。赤松円心が光厳上皇を錦の御旗にすること提言。 京で戦勝の祝宴 新田義貞は恩賞に内侍 尊氏 光厳上皇の院宣を得て京に向かう。 60代ゆっくりと、ゆっくりと、日々を楽しみたい. 太平記でアタシは楠木正成公をしりましたー .+:。(´ω`*)゚.+:。 ん?ってもう30年前!? ∑(´ `;) . 武田鉄矢さまが楠木正成公を演じておりました. 1 衛星放送名無しさん 2020/06/14(日) 05:01:31.36 ID:Wh07z9cCa. 元弘元年(1331)10月、赤坂城が陥落、楠木正成(武田鉄矢)は姿をくらます。そのころ伊賀付近を進軍中の足利高氏(真田広之)は、北条の使者より正成追討を命じられる。そのとき正成は花夜又(樋口可南子)らと合流、かくまわれることに。 正成が題材となった作品としては、大河ドラマの『太平記』や、小説の『楠木正成(上下)』や『道誉と正成』などがありましたね。 南北朝の合一後も、南朝の影響は随所に現れてくるので、楠木氏の動きと合わせて注目してみてください! 長崎円喜に押さえられた鎌倉幕府は、執権職は北条高時が退き、金沢貞顕を経て赤橋守時に。 楠木正成(武田鉄矢)の田舎侍のような素朴な演技もいい。 (両者ともあまり好きな役者さんじゃなかったのですが、見直しました) 22話の「鎌倉炎上」は必見です. 第11話「楠木立つ」この回は、高氏(真田広之)というより楠木正成(武田鉄矢)が主役です。後醍醐帝(片岡孝夫)が打倒鎌倉を目指して挙兵するまでと、そこに楠木正成が合流する経緯が描かれるのですけど、これを最短距離で説明する脚本の手際に、ほんと感心しますね。 新田義貞は添え物で、大塔宮と犬の隼人が大事にされていた。, 幕府は後醍醐帝に謀反の疑いがあるとし、反北条の僧侶、日野俊基らを捕まえた。 NHK大河ドラマ 太平記 完全版 第壱集 真田広之, 武田鉄矢, 陣内孝則, 柳葉敏郎, 佐藤幹夫 ジェネオン エンタテインメント 2008-08-22 売り上げランキング : 2089 おすすめ平均 やった! 待ってました!! Amazon.com で、NHK大河ドラマ 太平記 完全版 第壱集 [DVD] の役立つカスタマーレビューとレビュー評価をご覧ください。ユーザーの皆様からの正直で公平な製品レビューをお読みください。 「太平記-夢は吉野をかけめぐる- ... そう、彼こそが 楠木正成 なのです!(右図)武田鉄矢も気に入っていた司馬遼太郎の「楠木は河内の気のいいオッサン」発言をもとにしたと思われますが、このインパクトの前には金八先生も裸足で逃げ出しそう(笑 | 悪手を打ち続け北条一門の破滅を招くぼんくら、北条高時。 NHK大河ドラマ 太平記 完全版 第四巻 [DVD]/真田広之,武田鉄矢,陣内孝則¥6,300Amazon.co.jp太平記 第三十五回『大逆転』 登場人物(… そして尊氏 有力武家を招集し正成の助けで新田義貞を説得 帝の都を戦で焼く企て許せないと決議した。後醍醐天皇は政のため我が子を足利に委ね、護良親王は鎌倉に送られた。, 尊氏に帰京するよう勅使。尊氏の帰京を直義止める。後醍醐帝 新田義貞に尊氏追討の宣旨。清子が不知哉丸を仏門に。 大河ドラマ「太平記」、あの池端俊策脚本の、なかなか硬派なドラマでした。主人公は足利尊氏(真田広之)ですから、とうぜん、足利中心ですけど。楠木正成(武田鉄矢)の… 足利尊氏(足利又太郎→足利高氏→足利尊氏) –真田広之 (少年期-雨笠利幸) 赤橋登子~足利尊氏の正室になる –沢口靖子 足利貞氏~足利尊氏の父で、秘かに天下取りを託す –緒形拳 (少年期-高野八誠) 上杉清子~足利貞氏の側室で、足利尊氏と足利直義の母。 –藤村志保 足利貞氏の正室~金沢貞顕の妹で足利尊氏の父の正室 –横山リエ 足利直義~足利尊氏の弟だが最後には毒殺される –高嶋政伸 (少年期-高橋守) 足利直義の正 … 元弘の乱 勃発、足利高氏にも出陣の命 1331年8月27日 元弘の乱 勃発。後醍醐天皇(片岡孝夫)が笠置山で倒幕の旗をあげた。六波羅勢は2万の兵力で囲んだ。対する後醍醐天皇方 1000人に満たず。 9月3日 鎌倉に六波羅勢が笠置山を攻撃したが、敗れてしまったことが伝えられた。 悪党と呼ばれる人が各地に誕生、後醍醐天皇が比叡山を押さえ、幕府を倒す調伏の祈祷、そして幕府にバレた。, 護良親王派と足利側にらみ合い、回避するため尊氏が正成に会い支持を願った。 太平記(11)「楠木立つ」 766コメント ; 139KB; 全部; 1-100; 最新50; ★スマホ版★; 掲示板に戻る ★ULA版★; このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています. 楠木登場~大河ドラマ「太平記」第6回の感想など . 楠木登場~大河ドラマ「太平記」第6回の感想など ... いよいよ楠木正成が登場した第6回。演じるのは武田鉄矢さん。すまぬが坂本金八臭が強すぎるというか、わしの正成のイメージとはちょっと違うん … 高氏が、花夜叉一座と楠木正成を、舞いを見て関所通す 関所では検分が行われ、花夜叉一座が足利高氏(真田広之)と土肥佐渡前司(大塚周夫)の前に。高氏が「いずこへ」と聞く。花夜叉(樋口可南子)は熊野権現の祭りに行き、平安を祈り舞い歌うのですと答えた。 足利尊氏が主人公でなく、弟 直義は 散々な扱い。道誉が、バサラながら、人情的で、学もあり、主人公。 前回のあらすじ. 高氏は六波羅から釈放され、鎌倉への途中、武者につかまり、獄中につながれた。, 貞氏 倒れ、足利高氏 家督を継ぎ 鎌倉御家人最大の大名になった。 31: 2019/12/29(日) 22:33:52.78 ID:E9+vNMO8. 元弘の乱 勃発、足利高氏にも出陣の命 1331年8月27日 元弘の乱 勃発。後醍醐天皇(片岡孝夫)が笠置山で倒幕の旗をあげた。六波羅勢は2万の兵力で囲んだ。対する後醍醐天皇方 1000人に満たず。 9月3日 鎌倉に六波羅勢が笠置山を攻撃したが、敗れてしまったことが伝えられた。 大河ドラマ「太平記」の影響で、俺の中では楠木正成といえば武田鉄矢のイメージ 29: 2019/12/29(日) 22:32:08.06 ID:livG8RIU これには後醍醐天皇もにっこり どうもみやです。本日もお越しくださり、ありがとうございます!往年の名作大河ドラマ太平記の第15回です。楠木正成一行を詮議する高氏(真田広之さん)。楠木(武田鉄矢さん)も何とかその場を切り抜け、高氏も楠木正成とわかりつつ、一行を見逃します。 武田 鉄矢(たけだ てつや、1949年〈昭和24年〉4月11日 - )は、日本の歌手・俳優・タレント・司会者・作詞家。 フォークグループ・海援隊のボーカル・リーダー。 自身が出演する映画・ドラマの脚本を片山蒼の名義で執筆することもある。. 鎌倉で、父・貞氏が長崎円喜に頭を下げた。日野俊基は捕縛された。 足利高氏と赤橋登子の縁談がすすむ. 鎌倉・室町 大河ドラマ「太平記」 いよいよ楠木正成が登場した第6回。演じるのは武田鉄矢さん。すまぬが坂本金八臭が強すぎるというか、わしの正成のイメージとはちょっと違うんじゃけどな。 2020-05-05. 楠木立つとの情報を得た足利高氏(真田広之)は幕府が苦戦を強いられるだろうと感じる。一方、笠置山に入った楠木正成(武田鉄矢)は後醍醐帝(片岡孝夫)と対面し策を述べ下山、河内で挙兵した。不意をついた楠木軍は数日のうちに河内の北条軍を大混乱に陥れた。 これには後醍醐天皇もにっこり . HOME > 1991~ > 太平記(6) 「楠木登場」 太平記. 駿河国 竹之下脇屋義助の陣鎌倉を出陣した足利尊氏(真田広之)の軍が夜間ひそかに山中を進み、脇屋義助(石原良純)の陣を見下ろしていた。尊氏は一色右馬介(大地康雄)に「総勢7000ほどか? 冷えるのう 右馬介、飯は食うたか。次の飯は昼頃かのう。」そして尊氏は 攻撃開始の合図を送った。僅かな手勢を率いて鎌倉を出た尊氏は、新田義貞の搦め手に廻り込み 脇屋義助の軍に奇襲をかけた。山を駆け下り、尊氏の合図で火矢が一斉に放たれ、ぐっすり寝込んでいた脇屋義助の兵を襲った。新田義貞の陣 異変は箱根で戦っていた新田義貞(根津甚八)の陣に伝えられた。「御舎弟殿は、宮と三島口へ落ち行かれたが、他の公家達は 行方も知らず、竹之下の陣は全滅でございまする!」「敵は、たれぞ?」との義貞の問いに伝令は「足利尊氏にござりまする!」と答えた。新田軍・佐々木道誉の陣 知らせは新田軍に加わっていた佐々木道誉(陣内孝則)にも伝えられた。「足利尊氏の軍が、御舎弟どのを襲うたぞ!方々、ご油断めさるな!」これを聞いた道誉は、太刀を抜き、「佐々木判官、思うところあり。寝返り御免!」, 佐々木道誉も駿河の戦いで新田軍に下り、足利を裏切ったと見せて 新田軍に潜り込んでいた。それらが動いた。義貞は箱根山中で、足利直義軍を追いつめていた。しかし 搦め手の弟の軍の崩壊と、寝返り者の続出で、やむなく三島口へ後退した。尊氏出陣の知らせは足利軍を勇気づけ、逃げ去っていた味方が続々と復帰し、足利勢の攻勢に拍車をかけた。, 箱根の合戦、さらに駿河でも新田軍が敗北したことは早馬で都に伝わり、坊門清忠(藤木孝)・四条隆資ら公家達は上を下への大騒ぎ。そこへ「恐るべし、恐るべし」と名和長年(小松方正)が来て、「四国の足利一門 細川定禅 3000の兵を集めて備前国に上陸した由、それに呼応して 備前の佐々木信胤、播磨の赤松円心などが兵を挙げ、西国はただならぬ気配でございまする。」「東と西の挟み撃ちか!」と公家達はますます慌て、「ともあれ お上に奏すべし」とあわただしく帝のもとへと向かっていった。, 四国・山陽・山陰の諸国で 反公家派の豪族が反乱を起こし、都に向かって進撃を始めていた。驚いた朝廷は 東海道で苦戦を続ける 新田軍を 急ぎ都へ呼び戻した。雪崩を打って 逃げ帰る新田軍を足利軍は追い、一気に近江の大津へ押し寄せた。, 近江国 大津大津の軍議は大いに盛り上がっていた。高師直(柄本明)が道誉に「駿河で寝返りにおうた時には八つ裂きにしてもたらぬお方と思うたが、また帰ってこられたとは大した軍略」と皮肉混じりに言う。「軍略というほどのことではない。節操がないだけじゃ」と道誉が笑いながらいう。尊氏も「さよう、いくさに節操は禁物じゃ」いい、道誉が「さよう、さようなのでござる」と言ったので一同は大笑いする。そして地図を広げて天皇方の軍勢の配置を確認した。「敵方の都の守り 瀬田に3000騎 総大将は千種の中将 名和 結城。 淀1万騎 大将は新田義貞。宇治 5000騎 楠木正成。」尊氏は一人地図を見つめていた。右馬介がどこからともなく現れ、尊氏が「楠木殿と会うたか?」と尋ねる。右馬介は「宇治は守りが固く 楠木殿に近づけなかったが、人を介し殿の意向を楠木殿に伝えさせている」と答える。, 山城国 宇治楠木正成(武田鉄矢)の陣に、尊氏の使いとして花夜叉(樋口可南子)が訪ねてきていた。正季(赤井英和)は 朝敵と会ってはならぬと怒り、花夜叉を責める。花夜叉は尊氏には 伊賀で助けてもらった借りがあると言い。正成が「戦いとうないなら、なぜ囲みを解かん、なぜ兵を鎌倉に引かん」と問う。「兄上は戦がしたかったのではなく 立場上やむなくでしょう。足利殿には関東の武士を束ねる立場がございましょう。」と言って「愚かな戦で我が兄を失いたくないだけでござりまする」と訴える。, 夜になって、山中の一軒家に、正成と尊氏が、衣を変えて、ひそかにやって来た。「お会いしたい一心で、ご無理を申しました」と尊氏が言うと、正成は「ここに兵を集めて 御辺を捕らえれば この戦は終わる。」と打ち明けた。尊氏は、自分の首を切っても戦は終わらぬ。お公家の支配に不満を持つ武家が多くいると語った。正成は尊氏を囲炉裏の火に当たるよう声を掛けた。「三河あたりで鎌倉にお帰りになるものと思っていた」と言う。尊氏は自分もそのつもりだったが、兵が集まり 皆 口を揃えて「都へ行くべし、都へ攻め上り お公家に武家の力をしめさん」と言うのだと弁解し、「それがし朝敵と呼ばれ、この首に恩賞がかけられし者。皆と共に行けるところまで行ってみるかと、ふいと そう思ったのです」と語る。そして「都に上り、帝に願い奉ること出来ぬかと。願わくは 武家のための政は 武家にお任せ願えぬかと、諸国の武家の不満は収まらないと、この戦のさなか もはや後戻りはできないのだと。覚悟をいたしました。」これを聞いた正成は「それは、幕府を興す ということじゃの?」と聞く。尊氏はうなずき、「その幕府に楠木殿もご参画くだされませぬか?」と問い返す。「北条の幕府とは違い 偏りのない政を行う、帝には幕府が道を誤らないよう高い御座から お叱りいただく。正成殿が加われば、畿内の武士も、新田も名和も集まれば良い。さすれば 世は穏やかになる。」黙って聞いていた正成は「わしは、足利殿が好きじゃのう。」とつぶやく。「しかし あの帝が認めるはずがない。3年前まで河内の名もなき土豪だった、それを河内守という雲の上の位にお引き立てくれた。これは大きな借りだ。生涯かけて返さなければならない大借金だ。帝が足利どのを朝敵と仰せられる限り、戦わねばならん」と言い切る。しかし個人的には尊氏と戦いたくはない、それを言うためにここへ会いに来たのだ。ここから鎌倉へ引き上げてくれぬかと正成は頼む。さもなくば 戦うしかない。今はそう申すほかござらぬ。♬~, 翌日、尊氏は正成のいる宇治を避けて、淀に廻り、そこを守る新田軍と激突した。淀の合戦京足利軍は新田軍を破り、一度は京へ入った。しかし その入京も長くは 続かなかった。北畠顕家軍足利軍の背後をつくように、奥州の北畠顕家率いる大軍が疾風のように、京へ攻め上ってきたのである。京都の危機を察知し、神がかり的な勢いで 駆けつけてきた北林軍と 楠木 新田軍の挟み撃ちに遭い足利軍は大敗を 喫した。直義が顕家軍と京の町で戦うが、その勢いに「ひけ!」と退却を命じる。顕家が「逃すな!」と叫んで追撃する。尊氏は、丹波の山中に逃げ込み、山伝いに、摂津国(現在の神戸)へたどり着いた。, 摂津国 湊川尊氏は赤松円心(渡辺哲)に迎え入れられ、ようやく息をついた。かつて北条を倒した時、それがしを認めてくれたのは尊氏だけだったと言って「主とするならこのお方と、おのれに言い聞かせて参りました。なん成りと、お命じくだされ」と尊氏に言う。道誉も師直も尊氏より先に着いており、円心は一同に食事をすすめる。食事を取りながら、道誉が「円心殿が面白い話をされてな。こたびの我らの負けは気分の負けじゃと、仰せになるのじゃ」と言い出す。「戦は気分でするものではない」と師直が言う。道誉は「自分達が敗れたのは帝の光、朝廷の光に気負けしたのではないか。このわしとて 妙な後ろめたさがあるのじゃ。我が兵は謀叛軍、向こうは征討軍。錦の御旗が輝いている。」師直は「お気の弱いことを、そんなことでは勝てませんぞ。」道誉は「円心殿は我が軍も錦の御旗を持てばよいといわれる。」「錦の御旗?」と尊氏が聞くと、円心が「今の帝は持明院統の先帝を力尽くで追い払われ、帝に戻られた。それを上皇が恨みに思い、時至れば 一戦も辞さずと お覚悟がある由、その光厳上皇がひそかに足利殿の決起を頼みに思っているとの噂を耳にした。この光厳上皇の院宣を出してもらってはどうか」と進言する。尊氏は「戦は勝たねばならぬ。勝つためには錦の御旗もあるに越したことはない、神仏の御加護を願い、天地を味方につけねばならぬ。やってみようぞ。」♬~, 摂津の合戦その後も尊氏は、上皇の院宣を手に入れないまま、摂津で 新田・楠木軍の追い打ちに遭い 敗れた。尊氏は新田軍の追及を逃れ、海路 九州の筑前へと落ち延びていった。従う兵はわずか五、六百人であったという。, ♬~京 内裏それから半月後、勝ち戦に浮かれた公家や武家が帝を囲んで祝いの宴に酔いしれていた。尊氏を九州へ追い落とした戦勝の祝宴が内裏で催され、後醍醐天皇(片岡孝夫)や公家達、新田、名和、楠木といった武家達が一同に会した。無礼講とあって文観(麿赤児)が酔って騒ぎ立て「足利軍を僅か10日余りで、この都から追い出してしまった。神仏が我らに味方したのじゃ」と気勢を上げていた。後醍醐は奥州から駆けつけた北畠親房(近藤正臣)・顕家(後藤久美子)父子の功をねぎらった。文観が「功第一は北畠卿!恩賞も思いのままぞ」とはやし、公家衆も、やんやと褒めたたえる。騒ぐ文観に親房が「恩賞欲しさに東国より 馳せ参じたのではない。そもそもこたびの戦に 功ある者など一人もおりません」と言い、ここまで足利を つけあがらせたのが悪い と公家達を非難する。坊門清忠が反論するが「その方は 名和とたばかり 護良親王を捕らえ、悪逆なる足利に引き渡した第一の咎人ぞ。ひかえよ!」と親房に一喝されてしまう。足利を敵と見抜いていた 護良親王を己の栄達のために、足利と共に葬り去ったではないか、そこも、そこも。こたびの大事を引き起こしたのは、坊門!文観!そこもとたちではないか! 」。そして「そう思われませぬか、三位の局殿?」と阿野廉子(原田美枝子)に声をかける。後醍醐が「親房 もう良かろう」と告げると、親房は愚痴りましたと、笑って話を止めた。名和長年と文観は、義貞の摂津の合戦での活躍を誉めそやす。これに合わせて一同もそろって左中将殿と義貞を褒めあげた。後醍醐も「義貞こそ武家において第一の功をあげし者ぞ」と讃えて褒美として刀を義貞に授けた。勾当内侍(宮崎萬純)が呼び出され 義貞に酌をすると、二人の噂を知る人は はやしたてた。そんな中、廉子が後醍醐の耳元にささやいていた。この 新田義貞は足利追放の立役者として、座の称賛を一身に浴びた。以後 一代の英雄とみなされることになる。, 新田義貞邸酔いつぶれた義貞は、夜中に目を覚まし、我が身に女の衣装がかけられているのに気がついた。前を見ると、衣装脱いだ内侍が座っていた。驚く義貞に、内侍は廉子に義貞をここまで送るよう仰せつかり、それが帝の命であると語った。「左中将殿がおよろしければ、もはや内侍は内裏に帰参に及ばず」といわれていると告げる。「帝がおもとに、この義貞のもとへ行け、と?」と驚いて問う義貞に、「どうぞ、お受け取りくださりませ!内侍はこのたびの恩賞でござります!」と深々と頭を下げる。義貞は「おもとには、思うお方がおるのでは…?」と尋ねる。すると内侍は「そのお方に、行けと命じられました。そのお方に。十年、お声がかかるのをお待ちして、ついにお声が無く、ただ、行け と、このような内侍、お嫌でございましょう!」泣きながら飛び出した内侍を、義貞が抱きとどめる。「嫌であろうものか!恋い こがれたのじゃ!わしは、手に入れた。足利にも勝った!何もかも、手に入れた!」と義貞は内侍を抱きしめる。「恋い、こがれたのじゃ!」義貞は内侍を抱いたまま倒れ込んでいった。, そのころ、正成の館では縫い物をする久子の前で、宴から戻った正成が考え込んでいた。「のう、久子。もう河内へ帰ろうかのう」と言い出す正成。正成は久子に「この都はわしには合わん。もはやこの都には先がない。河内へ帰ろう」と言うと、久子は「はい」と微笑んだ。, 尊氏は光厳上皇の院宣を受けた。そして3ヶ月後 西国の反後醍醐派を糾合し再び京を目指し攻め上がろうとしていた。, 尊氏鎌倉から出陣して 脇屋義助軍を全滅させた。道誉寝返りし足利軍大勝。反公家派の豪族が続々反乱して都は大混乱に。戦いを避けたい尊氏 正成と密かに会うが何も出来ず。尊氏は新田・楠軍に北畠顕家軍も加わった天皇方に負け摂津まで逃亡。赤松円心が光厳上皇を錦の御旗にすること提言。京で戦勝の祝宴 新田義貞は恩賞に内侍。尊氏 光厳上皇の院宣を得て京に向かう。—————————尊氏鎌倉から出陣 して箱根で大勝 京で敗れ、 淀で敗れ、 摂津で敗れ 九州まで行って院宣を得ました。本を読んでいて、箱根での戦い 道誉の裏切りで勝利 北畠軍との戦い 楽しみにしていたのに、ナレーションで さらっと あっという間に九州に行ってしまいました。驚いたのは、北畠親房の暴露 しっかり見ていました。そして 義貞に 内侍が恩賞でした。, 鎌倉幕府の倒幕から湊川の戦いまでを、佐々木道誉と楠木正成の視点で描いた物語。 マジか・・・ アタシもオッサンになる訳だね・・・ ( ´_ゝ`) ままままままぁその太平記で. 楠木正成率いる楠木一党が籠城を続けていた河内赤坂城が落ち、楠木正成は伊賀に落ちていく。 落人狩りに従事する足利軍は伊賀に進軍するが、伊賀にはかつて高氏の前から姿を消した元想い人の白拍子藤夜叉が高氏の落し子不知哉丸とともに暮らしていた。 いよいよ楠木正成が登場した第6回。 演じるのは武田鉄矢さん。 すまぬが坂本金八臭が強すぎるというか、わしの正成のイメージとはちょっと違うんじゃけどな。. 元弘元年(1331)9月、六波羅軍のまさかの敗北で喪中の足利にも出兵命令が下る。第一陣 … 護良親王は、御動座を進め、帝が笠置山に立てこもる。足利貞氏が亡くなった。, 公家を中心とした倒幕の「正中の変」が起こり、足利高氏は日野俊基との関係を疑われ、六波羅にて取り調べを受ける。 鎌倉幕府の打倒と新政の建立への功についての恩賞の沙汰が下るが、恩賞の配分に偏りがあるなど問題を抱え波紋を呼ぶ。恩賞に一喜一憂する人々の各人各様が描かれ、今後のストーリー上の多くの伏線が張られたエピソードとなった。, 足利高氏(真田広之)を目の敵にする護良親王(堤大二郎)との対立を憂慮した後醍醐帝(片岡仁左衛門)や北畠親房(近藤正臣)は二人を宴に招き手打ちをさせようとするが、護良親王は「東夷(あずまえびす)の腹の中はわからぬ」とうそぶく。, 京の治安担当の足利直義(高嶋政伸)は、強盗として捕らえた護良親王配下の僧兵を処刑する。激昂した護良親王は、側近の”殿の法印”(大林丈史)がかねてより準備していた足利高氏暗殺計画の実行を命じる。, 北畠親房から招かれた宴からの帰路、高氏は楠木正季(赤井英和)とその手のものにより襲われるが、急を駆けつけた楠木正成(武田鉄矢)や、高師直(柄本明)が密かに付けていた護衛により難を逃れる。楠木正成は高氏に対して実弟正季の不始末を詫びた上で、「名誉よ、意地よと角突き合わせる都の武士ではなく、田畑を耕し百姓とともに生きる河内に戻りたい」と愚痴をこぼした。, 鎌倉陥落の後も、その地に駐屯し続けていた新田義貞(根津甚八)は、護良親王の一派からの「京に来なければ恩賞にありつけない」という口車に乗せられ、一族をあげ上洛する。高氏への対抗馬として護良親王派より大歓迎を受ける一方、高氏と直接会って話すことで、わだかまりが解けていくようであったと描写される。, 高氏は後醍醐帝に呼ばれ、諱(いみな)から一字を貰い受ける「偏諱」を受け、”尊氏”と名乗るように言われる。, 足利邸での祝いの宴の直前、久しぶりに帰任した一色右馬介(大地康雄)は、宿願であった北条氏打倒も成ったとし、尊氏に暇を乞うた。, 今回、将帥クラスで最も不遇な扱いを受けた人物。鎌倉幕府の六波羅探題攻撃に、足利軍が参戦するよりも以前から京を攻め一番乗りを果たした人物だが、護良親王一派と見られ、世継問題で護良親王と対立する阿野廉子(原田美枝子)に嫌われた。本人は「播磨は言うに及ばず、備前、美作をもらっても」と皮算用していたが、結果は播磨国内の一荘園である佐用荘の下賜だけとなった。, 以前には名和長年、千種忠顕らと参代し評議に加わっていたり、護良親王の酒宴に呼ばれている等、高氏に対抗する側に回ることが多かった。, 恩賞の沙汰が下った場で後醍醐帝にも抗議するが「控えよ、御聖断は一度切りじゃ」と言われ、御簾の奥の帝も反応しなかったので、赤松則村に対する結果については帝も承知の事だったということだろう。, その後、六波羅奉行所に駆け込み尊氏に泣きつき、高師直から「こちらに参られるのは、ちと筋が違うておるようにござりまするが」と嫌味を言われる。「護良親王に訴えられてはどうか」と勧める師直の言葉には、「しょせん、宮(大塔宮護良親王)は武士の心がわからぬお方じゃった。」と嘆き、「やはり、武士の心がわかるのは、武士の頭領。もはや足利殿に頼る他はなく・・」と尊氏にすがった。, 尊氏は、度量の大きいところを見せ、嫌味のひとつ言うまでもなく、「いや、ようお越しくだされた。この尊氏、赤松殿のお心ようわかりまする。」と応じる。だが残念ながら沙汰は下っており、師直の言う通り、遅すぎたというところ。, 「大塔宮を信じ、帝を信じた、それがしがアホじゃった!二度と帝のために命を賭ける事はせぬわ。それがしは国元に戻りましょう。播磨の山奥で帝の新政の行く末がいかなるものになるのか、じっくりと見せてもらいましょう。」と言い残すと、水干装束の上から太刀を背中に背負ってくくりつけるというなんとも風変わりな風体で立ち去る。後を追った尊氏が言う。「赤松殿、本日御辺が罷り越したること、この尊氏、しかと胸に刻みおきまする」振り向き、黙って会釈した赤松則村。「帝は大きな味方を失のうたかもしれませぬな」と師直がその後姿を評した。, この後、赤松一族は尊氏が後醍醐帝と新政に叛旗を翻すると真っ先に駆けつけ、尊氏が負けて九州に落ち延びたような劣勢な期間もずっと足利勢を支持し続けるなど、外様ながら足利与党勢力となっていく。人生何が影響するかわからない。, 史実では若干様相が異なり、赤松氏はいったんは播磨国守護に補任されている。その後、大塔宮護良親王の失脚前後で守護職を解かれ、その後、新政支持から足利尊氏支持になったとされている。, かつて助けた日野俊基(柄本明)にもらった「北条氏滅亡の暁には、和泉にある元領地の土地を譲る」という書付を持って、なけなしの金で小物を二人雇い、藤夜叉(宮沢りえ)(藤夜叉も市女笠を被せてもらったり)、不知哉丸を連れていざ行ってみると、すでに他の公家(?)の土地となっていて、それらの家臣に散々バカにされた挙げ句、追い返されてしまう。, 京に戻り、所領を巡る争いの解決のために設けられた”雑訴決断所”に行くも、花押から文書が日野俊基揮毫による本物であることは認められるが、盗んだものではないかと疑われる。帝の隠岐脱出の支援の事も伝えるも、「いかなる文書を有しておろうとも、綸旨がなければ叶わぬ。」「お主が如き訴えをいちいち聞いておる暇はないわ。とっとと失せい」と結局とりあえってもらえなかった・・。*1, 楠木正季の家来になったんじゃなかったっけ?というツッコミはなしにしても、せめて正季や楠木家のルートを使って動くという手はなかったのかい?という印象。, この程度の訴えでも綸旨が必要というのは少々ひどいのではないかな。”ましらの石”について言えば、楠木家経由というルートがあるにせよ、そのようなツテも持たなかった人々にとっては絶望的な状況ではないか?, 日野俊基が”ましらの石”に譲ったとしていた土地については、かつて日野家のものであったが北条氏に奪われた土地と俊基自身も言っていたことからすると、北条氏滅亡後に日野家のもとにもどってくるかどうか自体、俊基の希望的な意見に過ぎず、その権利を前の地主にすぎない俊基から譲られたと言っても、そんな権利はないよ、っていう奉行の判断は妥当と言うべきだろう。日野俊基&”ましらの石”の理屈が通るなら、北条氏滅亡に伴う北条氏の土地の権利は全て元の持ち主の元に戻ることになり、今回の新政にあたっての恩賞の原資自体がなくなってしまう。, その後、”石”はふてくされて落ち込んでいる様子が伺えるが、不知哉丸のほうが大変なことになっていたので、適当に流されてしまう・・。, 足利一族に対する恩賞について、高師直が評する。「・・此度の恩賞は、師直も不満でござりまする。殿は帝をより諱の1字を賜り、位高く遇されているように見えますれど、肝心の恩賞はご舎弟の分と合わせましても以前とさして変わらぬ数にござりまする。」「欲が深いのぅ。武蔵、相模と北条氏相伝の所領を賜うたのはこの尊氏よ。武家の第一と認められてのことぞ。」:「されど、新政の書記官に足利の者は誰一人参画してはおりませぬ。新田殿は、武者所の頭人、一族ことごとく要職を占めておりまする。公家の間には密かに「尊氏無し」とささやかれているとか。」*2, 「・・笑い事ではござりませぬ。あまつさえ三位殿の内奏により、朝に夕に綸旨は変わり・・」と師直は訴えるが、尊氏は取り合わない。, ここで言う三位殿とは、阿野廉子の事。阿野廉子悪女説に沿った描写のひとつということだろう。, ウィキによれば、足利家は30ヶ所の所領を与えられたとされており、さらに尊氏は建武政権では自らは要職には就かなかった一方、足利家の執事である高師直、その弟・師泰をはじめとする家臣を多数政権に送り込んでいる。これには、天皇が尊氏を敬遠したとする見方と、尊氏自身が政権と距離を置いたとする見方とがある。世人はこれを「尊氏なし」と称した。、とのこと。, このあたりドラマ化にあたって史実での複雑な部分や派生や枝葉末節にすぎない部分は、先の赤松則村の当初の恩賞の件なども含め、平坦に整えているということだろう。, 北畠顕家に奥州に行くようにという沙汰が下る。親房は抵抗するが、帝は相手にせず、親房も後見としていっしょに行け、と言ってくる。, 意外なところで評価の付けにくい沙汰があったのがこの人。確かに親房は大塔宮護良親王の従兄弟にして舅と言っていたので、阿野廉子とその取り巻きからすると、れっきとして護良親王派。せめて京都から遠ざけておこうという思惑があったのかもしれない。, 「・・おそれながら奥州に赴き乱を鎮めるなど、顕家には恐れがましき勤めにござりまする。我が北畠家は代々、学問を学び政務に交わる家柄にござりますれば・・」後醍醐帝に言上を述べているのは親房。「何を申す。文武の道はふたつにあらず、古は巫女や大臣の子が多く軍の大将となりしぞ。さばかりのことがわからぬか。顕家、そちはどう思う?」「顕家はもはや16、武において誰に劣るものではござりませぬ。」「よう言うた。さればこそ、顕家じゃ。奥州は何より大事な国。なればこそ、そちに任せるのじゃ。朕の目となり耳となりて働いてくれ。・・・親房、後見としてそちが同行せよ。」嫡子顕家の空気を読まない、というか親の心を推し量れない対応に、結局自分も奥州に行くように言われ、目が泳いでしまう親房であった。「心得ましてござりまする。」, 奥州の武者と力比べをしたいとか中尊寺金色堂を見たいとか無邪気に喜んでいる顕家に対し、ただでは転ばない親房, さらに奥州への出立間際に足利尊氏と新田義貞に話をしたいと訪ね来る。尊氏を器量が大きな武家の頭領と持ち上げておいて、新田義貞も武家の頭領、二人の頭領が・・と、頭領が二人と持ち上げる。その上で、「・・・さりながら新田殿、何故、鎌倉を捨てられた?」とズケズケと切り出した。「せっかく手に入れた鎌倉を離れ、足利殿を恨んでいるのではないか?」「それがしは都にて直々に帝にお仕え致したく、鎌倉は足利殿に譲ったまででござりまする。恨むなど・・滅相もないこと」やや気色ばむ義貞。「我らと新田殿は共に北条を討たんと約したる仲。同士でござる。のぅ?新田殿。」と尊氏も言う。「同士のぅ・・。」良いことを聞いたとばかりに、笑い出す親房。「なにはともあれ、足利殿は鎌倉と京に二つの足をお持ちじゃ。お陰でこの年で奥州に赴くハメになったわ。しかも親子でじゃ。」, 「されど、北畠殿は一枚ウワテじゃ。三位殿の幼き皇子を戴かんと見せ、その実、盾にとられたという訳でござりますな。」尊氏も切り返す。「これこれ、何を申される。そは足利殿と同じ理念ならばこそ。鎌倉の千寿王は足利殿の身代わり。関東の武士は足利殿に従わんと、千寿王の元に馳せ参じた。親王をいただくもそれと同じこと。帝の御威光を東国の奥地まで知ろしめさんと思えばこそのことぞ。・・幼子の力は新田殿が誰よりもおわかりのはず。」暗に千寿王が鎌倉にいたため、新田勢は鎌倉を後にしなけれならなくなったといわんが如くの親房。義貞の後悔をズケズケとえぐり出すかのよう。, 「奥州と鎌倉は近うござる。」試すように尊氏の顔をのぞきこみながら親房が言う。「京と鎌倉も近うござりまする。」と返す尊氏。尊氏の眼光にそっと視線を外す親房。そばで黙って思案を巡らすような高師直。, 沙汰が下る前には阿野廉子や坊門清忠らと恩賞の推測をする中で、阿野廉子から「千種は欲張りじゃのう」と評され、「隠岐の苦労を思えば・・」当然と自分で言っている。「我が国は全て66州、限りある土地、誰に賜るか気になるものよ。」と笑う。, 実際の恩賞においては、丹波の国司の他、北条方欠所/闕所(主のいなくなった土地)50ヶ所を賜ると言われ、目を輝かす様子が描かれる。, 前回エピソード時に新田義貞は越後の国司に任じられたと紹介されている。また高師直のセリフの中で、一族が様々な役職についていると評せられている。, 佐々木道誉の恩賞の沙汰については明確には描かれていない(次回以降触れられるのかもしれないが)。ウィキによれば倒幕期間中における佐々木道誉の行動に関する一次資料はないとされている。ドラマの中では、阿野廉子に取り入り、うまく世渡りをしている様子が伺えるし、阿野廉子、名和長年らを相手に足利党と新田党の鎌倉での確執について語っていたりするので、これまでと同様に必ずしも100%足利尊氏の同盟者というわけでもなさそうな印象。, 後醍醐帝の寵愛を受け、千種忠顕や坊門清忠などの取り巻きを連れ、”我が世の春”を汪溢する様子が描かれる。, 恩賞の結果についてそれとなく後醍醐帝に訊ね、「さしたる功もなき欲深共がそなたのところにああだこうだと言うてくるのであろう。が、朕は聞く耳を持たぬぞ。」といったんは帝より言われるが、すぐに「案ずるな。そなたは格別じゃ。そなたの望みは耳を貸そうぞ。」と言われ、後醍醐帝を操縦している様子が伺える。, 阿野廉子が生んだ三皇子を可愛がり、ことに阿野廉子との三男になる、数え6つの義良親王(のりよし)*3を、阿野廉子の三人の皇子の中では、末頼もしゅうって良いと評している。, 後醍醐帝は同母兄の恒良親王、成良親王に対して延喜・天暦の治は、摂政関白をおかず帝自らが律令の元、公家一統のまつりごとを果たした点を教えている様子が描かれる。「王たるもの、すべからくかくありたいものじゃ」と帝は述懐する。さらに帝は正しきまつりごとのために大事な事として、「先例に囚われず、家柄にこだわらないこと」を挙げ、「官職を世襲し、先例を踏み外さないようにするばかりではただしきまつりごとは行えない。」と二子に教える。*4, 「あまりに性急に事を急ぎますのは・・」と控えていた洞院公賢(山崎豊)に言われるが、「はじめから先例があった訳ではあるまい。今、朕がすることは、ことごとく未来において先例となるべく事ぞ。」と逆に諭す。, 里内裏では手狭になったので、大内裏を建設する、と言い出す。まぁ、この流れからするとその造成費用で重税を課し・・という流れが想像されるがどうだろう。, 阿野廉子や千種忠顕と恩賞の予想の噂話をしたり、阿野廉子の乱痴気騒ぎの宴に呼ばれ北畠親房・顕家親子の奥州行きを噂したりと、阿野廉子の取り巻きとして登場。, かつて元弘の乱の初期の頃、倒幕の祈祷を行ったとして捕らえられ薩摩は硫黄島に流刑になっていたが、幕府滅亡により戻ってきた、と説明される。, 「うまいぃー、都の水は汲んでも汲んでも飽きぬわ」と、阿野廉子の宴で騒ぎまくる姿が描かれている。阿野廉子からは「・・都に戻られるのをいまかいまかと待っていました」と言われ、千種忠顕からも「・・これで都がにぎやかになりますなぁ」と言われている。, 男女和合の奇っ怪な教えを説き、後醍醐帝の寵愛を背景に仏教界を牛耳っていた怪僧であるとさらりと解説されているが、要はエロ坊主だったということだろう。さっそく勾当内侍に狼藉を働きかけているが、周囲はそれを咎めたりしないところをみると、これもまた阿野廉子他の厚遇を受けているということだろう。, ふと文観のウィキを見るとみっちりと説明があって驚いた。元弘の乱や建武の新政の項目を探すのも大変なくらいに緻密な説明がなされている。どうも書いた人の思い入れが溢れだしてかえって読みにくくなっている典型的な項目になっているように感じた。ウィキによれば最近の研究では、怪僧であったというのは俗説にすぎず、現在再評価が行われている人物ということらしい。, 意外にも今回登場シーンがなかった。が、赤松則村からはしょせん武家ではなかったと愛想を尽かされている。, 後醍醐帝への思慕をいだきながら振り向いてももらえない。阿野廉子は内侍へのあてこすりか、内侍がいる前で、「近頃の御上はなにかにつけ廉子廉子じゃ。これじゃ身がもたぬ。」と言ってみたりしている。, 宴にて文観に絡まれたまらず逃げ出した廊下で新田義貞と鉢合わせになる。落とした扇子を拾ってもらっている。, 不知哉丸は一度は”ましらの石”と藤夜叉について和泉に行くが、結局京に戻り、直義邸に遊びに行った模様。そこへ尊氏・直義の母清子(藤村志保)と会い、「かわいいお子じゃ。どこの子じゃ?」と直義に訊き、「二条河原の鰻売りの子」という答えに、清子が閉口する様子が描かれる。, 瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ いづくより来りしものそ目交にもとなかかりて安眠しなさぬ, 新政が早々に瓦解した原因、理由がだんだんと描かれてきました。英明なリーダーがいかに立派な理想を掲げようとも、全国に張り巡らされた統治機構や行政機関がうまく機能しなければ世の中は変わらない。いまや公家も武家も我先に恩賞に群がり、末端では主客転換とばかりに北条氏の機構が追い払われている状態ではうまくいきようがないのは自明。, 主人公補正がはいる尊氏は当然として、他には楠木正成、また後醍醐帝も無謬の人ぽい描き方をされている。もっとも後醍醐帝の場合は、阿野廉子を寵愛しすぎてその使嗾に流されるようになったこと、公家一統と主張はするがそれだけで世の中が変わると信じているところなどは、新政の根本的な部分での失敗原因かもしれず、無謬とは言えないかも。, ぜんぜん「太平記」と違う話ですが、新田義貞役の根津甚八さんは、「機動警察パトレイバー the Movie2」でクーデターの首謀者の柘植の声を当てられていたのを思い出しました。なんとなく親近感を感じていたのはそのせいか!ちょうど「太平記」と製作年も近いです。, この生年から見ると、ドラマの中での年齢は兄が満8歳、弟が7歳といったところ。一方で、ドラマでは蝶を追いかけるような年端の義良親王(のりよし)が聡いと言われていたが、その実、聡いから天皇になった訳ではなく、兄たちがことごとく亡くなったため後を継いだといったところではないだろううか。, yuishikaさんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?, Powered by Hatena Blog

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