U.S. Relaxes Its Mark-to- -Market Standards

<--

記者の目:米金融機関の時価会計基準緩和=山口敦雄(毎日ビジネス・ブックス編集部)

 ◇なりふりかまわぬ綱渡り 「明日は我が身」議論急げ

 金融危機の震源地、米ニューヨークをこの4月に訪れた。ニューヨークは、10年ほど前に、ドイツで弁護士をしている兄が、米国で司法修習を受けていた時に1週間滞在して以来、毎年のように訪れている。ITバブルで活況に沸くニューヨーク、同時多発テロで落ち込んだニューヨーク……ことある度に世界経済の中心地を見てきた。

 今回の訪問は、金融危機後のニューヨークだった。イースター(復活祭)さなかということもあって、タイムズスクエアや5番街などの中心街はにぎわいを見せていた。しかし、一歩、マンハッタン島を離れると「フォークロージャー(差し押さえ)」で家を失ってテント生活を余儀なくされる人々が急増しているという。

 ニューヨークで30年前から不動産業を営む徳永晋さんは「売買、賃貸ともに取引がほとんどない。いまは台風の真っただ中にいるようなものだ」と語る。マンハッタンの中心街のコンドミニアムは家賃が高く投資銀行勤めの人が多かったが、この金融危機で解約が増加しているという。かつては世界中の投資家の資金が集まって、マンハッタンのコンドミニアムの価格は、一時は3倍にも上昇したが、いまでは買い手がなく取引価格が定まらない状態だという。アメリカは、かつての日本のバブル崩壊、金融危機が一気に来たような状況だった。

 金融の中心地、ウォール街で最も話題になっていたのは「時価会計の基準緩和」である。09年1~3月期決算では多くの米金融機関が黒字転換を果たした。だが、その内実は「時価会計の基準緩和に伴って不良資産の損失計上が減った」効果だという。

 日本でも「時価会計」という言葉には敏感に反応する企業経営者は多いだろう。エコノミスト編集部で99年7月に臨時増刊号「会計革命」の編集に携わったが、当時の日本は山一証券や日本長期信用銀行の破綻(はたん)に象徴される金融危機の渦中にあった。一方で米国はITバブルの絶頂期を迎えようとしていて、ウォール街からは「日本市場は地雷原のようなものだ」という声が聞かれた。日本企業は粉飾決算だらけで怖くて投資できないというわけだ。そこで、市場の透明性を高めるために、米国の圧力もあり、日本は01年3月期決算から時価会計を導入したのだ。

 「日本市場は地雷原」と酷評した米国が、今回、金融危機に陥ると、手のひらを返すように、時価会計基準を緩和するという。

 もちろん、ウォール街でも、「時価会計の基準緩和」に対して、「果たして銀行の財務の透明性が保たれるのか」との批判は多いという。一部の金融機関では採用を見送ったところもある。

 米系投資銀行に勤める日本人に「(時価会計の基準緩和は)いくらなんでも身勝手なのではないのか」と尋ねてみた。彼の答えは「わかっていないな。これこそがアメリカンスタンダードですよ」。自国の競争力維持のためには制度変更はあたり前だということだ。「アメリカンスタンダード」はいまだに健在だった。「会計基準があっての経営ではなく、経営があっての会計」というわけだ。そして経済が好況になると「我こそは世界の基準であり、他国のやり方は間違っている」というおごりが出てくる。

 日本は金融危機の真っただ中で時価会計を導入した。それに伴う含み損の発生を嫌った銀行、事業会社らが持ち株の一斉売却に動き、03年4月、日経平均株価は当時としてのバブル崩壊後の最安値を更新した。安定株主を失った企業は村上ファンドなど「モノ言う株主」の標的となった。ただし、時価会計の導入で銀行の不良債権処理が進み、その後の景気回復につながったという見方もあって、評価は分かれるところだ。

 今回の米国の時価会計基準緩和は、時価会計を最悪のタイミングで導入して、株価暴落を招いた日本の前例を結果的に学んだのかもしれない。それだけ米国の金融危機が深刻で、なりふりかまわず綱渡りしているというのが実態だといえよう。

 この、米国の時価会計基準緩和は、ここ十数年来の「米国こそがすべてだ」といった日本の政財界、学界の米国一辺倒の流れからすると拍子抜けする。しかし、たとえ、今回、米国が身勝手であったとしても、これは決して対岸の火事ではない。日本の金融危機後、景気回復や敵対的買収への対抗から、「株式持ち合い」を復活させてきた邦銀にとって、今回の株安は含み損を膨らませ、決算を傷めている。再び深刻な経営危機に陥る危険も否定できない。

 日米バブル崩壊の教訓をふまえ、金融危機下での会計基準のあり方について真剣な議論が必要だ。まさに「明日は我が身」なのである。

About this publication