Japanese Constitutional Reform and the U.S.: My Personal Investigation of the U.S.-Japan Alliance

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日本は信頼できるのか

 江藤淳氏が1980年3月、ワシントンのウッドロー・ウィルソン国際学術センターでの研究発表会で日本の改憲の必要性を訴えたころは、米国の知日派では護憲の意見が圧倒的だった。同センターで江藤氏と同じ研究員として活動していた外交評論家の田久保忠衛氏(現杏林大学名誉教授)が回想する。

 「江藤氏の発表が終わると、元駐日公使のリチャード・フィン氏が私のところに飛んできて『エトウはなぜあんな過激な意見を述べるのだ』と詰問するのです。米国の知日派は当時、日本の改憲などとんでもないと考えていたのです」

 レーガン政権が日本に大幅な防衛増強を求め始めた時期でも、米側の日本やアジアを専門とする学者たちには自らを「日本を永遠にただ乗りさせておく会」と、冗談まじりに呼ぶグループがあった。防衛面で日本はなにもせず、米国に依存していることが望ましいというのである。その背後には明らかに日本が軍事力を増強するとまた危険な存在になるだろうという不信や警戒があった。だから日本が憲法を改正して軍事面での制約を除くことなど、とんでもない、というわけだ。

 実はエドウィン・ライシャワー元駐日大使もこの考え方に近かった。そのころ私が日本の憲法について問うと、彼は「日本の振り子は激しく揺れすぎるかもしれませんね」と答えた。日本は軍国主義から民主主義へ、西洋の拒否から礼賛へ、と変容があまりに急激だから、憲法はいまのままがよい、というのだった。これまた日本不信だった。

 私はその後も日本憲法への米側の態度をずっと追い続けた。1992年には米国の知性の代表ともされたジョン・ガルブレイス氏に日本の憲法について質問する機会を得た。

 同氏はリベラル派の経済学者として著名で、ケネディ政権では駐インド大使に任命されたが、実は日本とは独特のかかわりがあった。日本の敗戦直後の1945年10月、米国政府の「戦略爆撃調査団」の団長として焼け跡の東京を訪れ、日本側の戦争指導者を次々に尋問した体験があるのだ。

 同調査団は米軍のB29による戦略爆撃が日本の戦争遂行の意志にどれだけ影響したかを調べるとともに、日本の指導層が欧米相手の勝ち目のない戦争をなぜ決断したかを解明することを任務としていた。だから近衛文麿元首相や木戸幸一元内相らを出頭させ、厳しく追及したのだった。ガルブレイス氏はその体験以後も学者や外交官として日本との接触は多かった。

「憲法改正の是非はよく問われますが、私自身の見解ははっきりしています。日本はいまの憲法を絶対にそのまま保つべきです。日本がもし改憲をしようとすれば、東アジア、西太平洋地域には激しい動揺や不安定が生じるでしょう」

 ガルブレイス氏は私の改憲についての問いにこう答えた。これまた日本不信だった。

 ところがその1週間後、レーガン、ブッシュ両政権で国防総省の高官や軍備管理の顧問を務めたポール・ニッツェ氏に同じ問いをする機会があった。共和党保守派の彼は当時、戦略問題の大御所とされていた。そしておもしろいことに前述の戦略爆撃調査団の副団長だった。

 ニッツェ氏はまずにやりと笑い、「私の一つだけよく知っている日本語はジリヒンという言葉です」と語りかけてきた。日本側の戦前の指導者たちは欧米相手の戦争には勝算も講和への戦略もなく、ただそのままだと日本が「じり貧」になるから開戦を決断したと、みな一様に告げたというのだった。

 憲法については彼は最初に「第九条は国家主権を制限する性格があります」とあっさり述べた。

 「改正はあくまで日本が独自に決定すべき問題ですが、米国は同盟関係を保つ限り、反対する必要はない。日本が九条を変え、軍隊の存在を認知すると、軍国主義が復活するなどというのは日本を信用していないからです。日本を真に民主主義国家として信頼するなら、改憲になんの恐れも懸念もないはずです」

 ニッツェ氏のこの意見はガルブレイス氏と同じ日本原体験をしながらまったく逆だった。その背後には保守とリベラルの基本的な相違があるように映ったのだった。

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