American Life: Clamor and Silence

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アメリカンぼちぼちライフ:喧騒と沈黙=山科武司

 「ウサマ・ビンラディン容疑者殺害」のニュースを受けて今月2日未明、米同時多発テロが起きた世界貿易センターの跡地「グラウンド・ゼロ」に急いだ。初めて同地を訪れたのは01年10月。アジア各国の記者と米国各地を訪れる研修旅行に参加していた。テロで訪問先が急きょニューヨークに変更された。

 発生から1カ月を経てもグラウンド・ゼロ周辺にはゴムの焼ける強烈なにおいが充満し、白煙が上っていた。夕闇が迫るなか、人々は「立ち入り禁止」の柵に近寄り、惨禍を無言で見つめていた。ブルドーザーは動き回っていたが、静寂が周囲を支配していた。

 同じような光景には、03年8月に自爆テロに襲われたイラク中部の聖地ナジャフ、04年3月に列車爆破テロが起きたマドリードでも遭遇した。何も語らずに現場を見つめる人々の目は、やはり悲しみと怒りに満ちていた。

 2日未明のグラウンド・ゼロは対照的に喧騒(けんそう)に包まれていた。「USA USA」の大合唱に合わせ、肩車された青年が星条旗を掲げると、無数のカメラが動きを追った。「米国はビンラディン(容疑者)に辱められた。ようやく結束できた」。イザック・ブランスティンさん(21)がまくし立てた。

 群衆から離れてグラウンド・ゼロを見つめる人々もいた。リッチ・ジェンキンズさん(29)は「少しは正義が実現したとは思う。だが遺族が癒やされるわけではない。テロ後も米国だけでなく多数の国で多くの命が失われた」。

 翌々日の4日、ドナ・オコーナーさん(57)から連絡があった。「殺害」を受け、ニューヨーク支局で過去に取材したテロの遺族にコメントを求めた。それに応えてくれたのだった。

 オコーナーさんは世界貿易センタービルで妊娠5カ月の娘、ベネッサさん(当時29歳)を、まだ見ぬ孫とともに奪われた。「殺害」を知り「驚きと悲しみがないまぜになった」という。すぐに交流サイト「フェイスブック」に投稿した。「彼は死んだがベネッサは戻らない。彼の死を祝う気になれない」と書き込んだ。

 「彼の死は、彼のテロで殺された人々と、どこが違うのでしょうか。長く繰り返される悲劇の一つにしか過ぎません」。今は9歳の孫と息子2人、夫との平穏な暮らしがある。「でも娘を失った空白は埋まりません」。報復のむなしさが言葉ににじんだ。

 「殺害」後の狂喜乱舞だけが米国ではない。沈黙をかみしめ内省する姿もまた米国だ。(ニューヨーク支局)

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