The Shuttle’s Final Flight: Farewell to the Space Age

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社説:シャトル最終便 宇宙の一時代に別れ

惜しみない拍手とノスタルジー、過去の犠牲への痛みと将来への期待や不安。さまざまな思いと課題を残し、米スペースシャトルがラストフライトに飛び立った。

 1981年4月のコロンビア号の初飛行から30年。シャトルは16カ国356人、延べ800人以上を地球周回軌道に運んだ。92年の毛利衛さんを皮切りに日本人宇宙飛行士7人もシャトルで宇宙に旅した。

 飛行機に乗るように地球と宇宙を往復したい。そんな夢を具現化する再利用型の往還機が、無重量の宇宙をより身近なものにしたことは間違いない。米国の乗り物でありながら世界にも大きな影響を与えた。宇宙開発に一時代を築いたことを評価したい。

 自前の有人宇宙船を持たない日本にとっては、有人飛行の経験を積むための貴重な足がかりだった。国際宇宙ステーション(ISS)での長期滞在もこなし、宇宙における国際チームの一員として地位を獲得したのもシャトルがあったからこそだ。

 しかし、シャトル計画そのものは、安全面とコスト面で「不合格」だったといわざるを得ない。

 86年のチャレンジャー事故、03年のコロンビア事故で合計14人が犠牲になった。百数十回に2度の事故は、決して低い確率とはいえない。背景には往還機であるがゆえの複雑な設計やシステムがある。

 結果的に安全対策はコストを押し上げ、打ち上げ目的も限定された。老朽化する機体や地上の施設を刷新する余力も、今の米国には残されていない。

 米国のオバマ政権は、アポロ型の使い捨て宇宙船に回帰することを決め、月、小惑星、さらに火星をめざす有人計画を打ち出している。しかし、そのためのロケットの設計はこれからで、先行きは不透明だ。

 地球とISSを結ぶ有人輸送機の開発は民間にゆだねられた。初号機が飛ぶまでに数年かかり、その間はロシアのソユーズに高額の「ヒッチハイク」を頼まざるを得ない。

 次世代輸送機が不在のままシャトルが引退することで、宇宙の世界地図は変わるかもしれない。シャトルが主役となって建設してきたISSも費用対効果や存在意義が問われている。

 そうした中で、ヒッチハイク先がシャトルからソユーズに変わる日本は、将来の有人飛行をどう位置づけていくのか。津波と原発の二重の災害の対応に追われる今、答えを出すのは容易ではない。

 小惑星探査機「はやぶさ」のような無人技術に磨きをかけるのか。独自の有人飛行を模索するのか。優先順位と戦略を明確にすることが、今まで以上に重要となっている。

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