大統領と広島―なぜ原爆と向き合わぬ
ふだんはうまくいっている外交関係にも、触れ方が難しい問題はある。たとえば、日本と米国における原爆だ。
広島・長崎では20万人以上が犠牲になり、いまも多くの人々が後遺症に苦しんでいる。日本側から見れば、許せない無差別攻撃だ。だが、米側は戦争終結を早めるために必要だったと正当化する。
原爆観の対立は、安保条約を結ぶ日米関係の底深く刺さった「歴史のトゲ」といえる。
難題だけに、トゲを抜こうとする人もいれば、あえて関わろうとしない人もいる。
内部告発サイト「ウィキリークス」が入手していた米外交文書で、この問題の一端がのぞいた。09年8月、オバマ米大統領の初来日を前に、当時の薮中三十二外務次官がルース駐日大使と会談した。薮中氏は、大統領の広島訪問は「時期尚早」と伝えた、というのだ。
その年の4月、オバマ大統領はプラハで「核なき世界」を訴えていた。その演説を受けて、大統領の広島訪問を期待する声が、被爆地を中心に盛り上がっていたころだ。
結局、大統領は広島に行かなかったが、米側が強い関心を抱いていたのは事実だ。外務次官が消極的な見解を伝えたのだとしたら、どういうことなのか。理解できない。
「ここに来て事実を知ってください。未来を生きる子どものために」。この夏に亡くなった被爆の語り部、沼田鈴子さんは大統領への期待をそう言葉にしたことがある。
これこそ、被爆国日本が世界に発すべきメッセージだ。外務省はその広報役のはずだ。
もちろん、外務次官が広島行きを強く勧めても、米国内の保守派の反発は大きく、実現したかどうかはわからない。
同時に、もし実現すれば、日本はアジアに対する戦争責任を果たしたのか否かが、国内外で問い直されたかもしれない。
どちらも、政権や外務省には波乱要因に映っていた可能性がある。だからといって、避けて通るのは健全ではない。
すでに08年には、当時のペロシ米下院議長が広島を、河野洋平衆院議長がハワイの真珠湾を訪ねて献花した実例もあった。こんな努力の先に、大統領の広島訪問が実現できるならば、日米両国は原爆ともっと正面から向き合えるに違いない。
今回たまたま、政権交代期の外務官僚の発言が問題になったことで、改めて確信する。「歴史のトゲ」は政治全体で抜いていくしかないのだ、と。
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