Mother’s Day Shooting: Repeated Tragedies Are Not Normal

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母の日の銃乱射 惨事の繰り返しは異常だ

 米南部ルイジアナ州ニューオーリンズで「母の日」を祝うパレードの最中に銃の乱射事件があり、子供を含む約20人が負傷した。

 音楽隊のあとを練り歩く群衆に向けた発砲とみられ、直後に犯人らしき3人が逃げ去ったという。白昼、住民が集う平和な行事を銃声がかき乱し、子供らの血が流れる社会は、やはり異常だ。

 米国では、銃犯罪に有効な手立てを打てず、同様の惨事が繰り返されている。野放しと批判されても仕方があるまい。

 米国の銃犯罪が世界の関心を集めるのは、いまに始まったことではない。1992年には、他人の住居に迷い込んだ日本人高校生が射殺される事件が起きた。

 事件の度、銃規制の必要性が叫ばれるが、ロビー団体、全米ライフル協会(NRA)の圧力もあってかなわず、惨事が再び起きる。「またか」の印象だ。

 昨年12月、東部コネティカット州の小学校で起きた銃乱射事件では、児童ら26人が犠牲になった。オバマ政権はこれを受け、銃規制を2期目の最優先課題の一つとして掲げた。だが、銃購入者に犯罪歴調査を義務づけた法案が上院で否決され、オバマ大統領は「ワシントンにとって恥ずべき日だ」と悔しがるしかなかった。

 この間も、惨事はやまず、5歳男児が子供向けの小型ライフルで、2歳の妹の胸を撃ち、死なせるなどの事件が起きている。

米国憲法修正第2条は、「人民が武器を保有し、また携帯する権利を侵してはならない」とうたっている。植民地時代、住民が銃を手にして英国軍と戦い、独立を勝ち取った。米国建国の精神と深く関わる理念である。

 そのこと自体には敬意を払うべきだろう。銃犯罪に苦悶(くもん)しながらも、建国の理念である「自衛の権利」を捨てないことを、米国の強靱(きょうじん)さとみることもできる。

 それにしても、「またか」が多すぎるではないか。銃の所持、携帯を権利とするのなら、乱用を防ぐための管理をより周到にし、強化すべきなのは当然だろう。

 乱射事件があったコネティカット州で銃規制強化の州法が成立するなど、地方レベルでの対策は進んでいる。規制を求める住民の運動も活発化している。

 米国ならではの銃管理の知恵を振り絞るときだ。

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