戦争への道回避を – 論説委員 北岡 和之
2014年5月16日 奈良新聞
わが国の平和と安全に関わる考え方を一変させるような、安倍政権の「集団的自衛権」行使容認への動き。いつも疑問に思ってきたのは、「集団的」とはいっても要は日米両国間のことが中心ではないか、ということだ。安倍政権は、米国がアジア重視の姿勢を強め、この地域で米国と他国との緊張・対立が深まるようなら、わが国も日米関係を基に軍事行動に踏み切ることもあると明確にした。
アジア地域での太平洋戦争後の米国の振る舞いということで、真っ先に思い浮かぶのはベトナム戦争だ。米国が当時の北ベトナムに対する軍事行動の根拠として挙げたのは、南ベトナム政府からの要請のほか、国連憲章第51条に基づく集団的自衛権と東南アジア集団防衛条約に基づく防衛義務だった。
この戦争の“末路”はどうだったか。米国は多くの兵士を失ったあげく、命からがら逃げ出した。今もベトナム戦争を扱った米国映画が強く記憶に残り続けるのも当然だ。ついでに言えば、この戦争では韓国もベトナムに派兵。悪く言えば「米国の尻馬に乗っかって」だ。韓国も何度でも検証すればいいと思う。
国連憲章第51条を見ると「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」とある。
わが国ではこれまで、憲法9条のいう「戦争の放棄」は、わが国の領域外への“兵力の派遣”は禁止されていると解釈。このため自国の領域以外の地域を含め、通常の共同防衛を約束するのは憲法違反になり、不可能だとみなされてきた。つまり、国連憲章でも集団的自衛の「権利」は認められているが、実際に行使するのは無理、というものだった。
この解釈を変更していいのかどうか。変更することの本質的な問題は何か。
唐突かもしれないが、わが県が主導して進めている「東アジア地方政府会合」の取り組みを挙げる。同会合の「奈良憲章」前文は「東アジアの今後の安定した繁栄と発展のためには、東アジア各地域の歴史と文化にはぐくまれた多様性を尊重しつつ、相互の理解と協力・連携を深める必要がある」とある。この考えに基き、国家間のことにも置き換えて中国や韓国、北朝鮮などとの集団的自衛、アジア安保条約を構想してもいいのではないか。キーワードはやはり「非戦」だ。
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