【社説】米黒人青年射殺 肌の色によらぬ社会を
米国で人種や肌の色などによる差別を禁じた「1964年公民権法」の成立から50年。節目の年に、一人の黒人青年の死が社会を揺るがし、半世紀を経てなお人種間の溝が深い実情を浮き彫りにした。
今月9日、中西部ミズーリ州セントルイス近郊のファーガソンで、銃を持たない青年が警察官に射殺される事件が発生した。撃たれた側が黒人、撃った側が白人という構図から人種対立に発展。大勢の市民が抗議して警官隊と衝突し、州兵を動員する事態にまで至った。
暴徒化したデモは沈静に向かいつつあり、市民の関心は警察官を起訴するかしないかを判断する大陪審の行方に移っている。
ただ、92年にはロサンゼルスで、黒人のロドニー・キングさんを暴行した警察官4人が無罪評決を受けた結果、50人以上の死者が出る大規模な暴動に発展した。10月半ばにも出される結論次第では、黒人側の不満が再び爆発する可能性もある。
今回の事件を契機に、人種間の経済格差にもあらためて注目が集まった。公民権法成立後、米国では人口比によって入学や雇用の枠を割り当てるアファーマティブ・アクション(積極的差別是正策)などが導入された。しかし、黒人の貧困層の割合は、現在も白人の2倍以上で推移。ことし7月の失業率は黒人が11%を超え、白人の倍以上である。
加えて、ファーガソンは人口の3分の2以上が黒人であるのに対し、市長ら行政機関の中枢を少数派の白人が押さえていることから、黒人側の不満が一気に噴出したといえる。
63年、黒人のキング牧師はワシントンでこう演説した。「私には夢がある。いつの日か、私の4人の小さな子どもたちが、その肌の色によってではなく、その中身によって評価される時が来ることを」
しかし、オバマ大統領は事態の沈静化のために黒人初の司法長官を現地入りさせるなど「肌の色を意識した対応」を取った。これはキング牧師が目指した社会とは逆である。米国トップの者ですら肌の色を意識せざるを得ない点に、この国の人種問題の根深さが表れている。
重要なのは、肌の色に関係なく、社会全体で雇用や教育環境を改善していくことである。人種や民族という意識を超えて社会の調和を図る重要性は、日本を含め世界中に投げ掛けられた課題ともいえる。
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