最終回:米中の相互不信を解くカギはあるか?
米中関係を展望する:長期
加藤 嘉一
2015年3月26日(木)
2015年3月16日、16時50分。北京・人民大会堂福建庁。
習近平国家主席がドリュー・ギルピン・ファウスト ハーバード大学学長を迎え入れ、歓迎の言葉を述べた。「こうして再会できてとても嬉しいです。前回、私たちがお会いしたのは2008年、まさに今日と同じこの場所でしたね。ハーバード大学と中国の教育・科学技術界は長期的な交流と協力があり、素晴らしい業績を残してきました」。
ファウスト学長は、習国家主席の歓迎に謝意を表した後、こう続けた。「前回お会いしたとき、私はまだハーバード大学の学長に就任したばかりでした。あれから、ハーバードと中国の関係は素晴らしい発展を遂げました」。
習国家主席は、前日に閉幕したばかりの“両会”(全国人民代表大会&全国政治協商会議)の状況をブリーフィングすると同時に、今年9月に米国を公式訪問し、自らが提唱してきた“新型大国関係”を前進させるつもりであることを強調した。
ファウスト学長は「明日、清華大学で講演させていただくことになっています。習国家主席の母校ですね」と語りかけた。この会談に出席した共産党関係者によれば、「習国家主席の表情、仕草、語り口はいつもの会談に比べて柔らかく、同学長に対する敬意というか、遠慮のような態度すら感じた」とのことだ。
無理もないだろう。ファウスト氏は、習国家主席の実娘・習明沢さんが卒業して間もないハーバード大学の学長である。“保護者面談”において、学生の親が学校側、しかも学長に対して下手に出るのは当然の振る舞いと言える。
1992年生まれの習明沢さんは2010年~14年までハーバード大学に学部生として在籍し、心理学を専攻した。実父が国家主席という境遇に負けることなく勤勉に学問に励み、14年5月29日、堂々と卒業証書を受け取ったとのことだ。(参照文献、峯村健司著:十三億分の一の男‐中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争、第二章“習近平の一人娘を探せ、小学館、2015年3月)。
前出の党関係者は続ける。「今回、ファウスト学長に習国家主席の母校である清華大学で講演をしてもらい、そのお返しに、習国家主席が9月に訪米した際にハーバード大学で講演をするというシナリオが出来上がっている。習国家主席は米国の最高学府であるハーバードでの講演にこだわっている。だからこそ、“両会”が閉幕したばかりで次の仕事の準備に向けてバタバタしているタイミングでもファウスト学長と会った」。
3月16日の夜(北京時間)、中国の複数のウェブメディア(新華網、人民網、新浪網、網易、騰迅など)にアクセスしてみると、習国家主席がファウスト学長と会談したとのニュースがヘッドラインに据えられていた。中央宣伝部で働く旧知の幹部に確認すると、各メディアに対して、このニュースをサイトの目立つ位置に掲載するように指示が出されていた。「習国家主席はファウスト学長との会談を高度に重視されていた。習国家主席から直接指示があったわけではないが、我々の判断でメディアに宣伝を促した」(同幹部)。
ハーバードを対米政策立案の基地に
報道を見ながら違和感を覚えたことが1つあった。上記のように、習国家主席とファウスト学長が、交流と関係の主語を“中国”と“ハーバード大学”としていたことである。「ハーバード大学と中国は長期的に重要な協力関係を築いてきました。引き続き中国の教育界・科学技術界との交流と協力を強化し、米中関係の発展に貢献していきたいです」(ファウスト学長)。
清華大学とハーバード大学がカウンターパートというなら分かる。しかし、習国家主席とファウスト学長がカウンターパートになることは外交儀礼上成立し得ない。それでも、中華人民共和国を代表する習国家主席が、ハーバード大学という一私立大学の学長をカウンターパートであるかのように扱うのには理由がある。
筆者は、中国共産党指導部はハーバード大学を、対米政策を長期的に考察し推進していくための戦略的基地兼緩衝地帯に据えている、と見ている。ホワイトハウスでも、ペンタゴンでも、CIAでも、国務省でもない。ワシントンから地理的に離れてはいるが、ワシントンの政策決定過程に“人的資本”と“知的資本”という角度から深く入り込んでいるハーバード大学との交流と関係を通じて、対米政策を長期的に安定させようとしているのだ。そして、この背景には、「これからしばらくの間、米中関係が一筋縄ではいかない」という中国共産党指導部の確固たる認識があるように筆者には思えるのである。
前回コラムで触れたように、米中関係を短期的視座で俯瞰したとき、米中双方の体制や価値観の違いが如実に露呈する局面は枚挙にいとまがない。加えて、“米国は中国を封じ込めようとしている”と考える中国と、“中国は既存の秩序とルールを変更しようとしている”と考える米国の間には、長期化することが避けられそうにない“相互不信”が横たわっている。これからの10年間、中国の経済力・軍事力・政治力が台頭するなかで、この相互不信はずっと継続していくことであろう。
注目を集める、西欧諸国のAIIB参加
最近、国際世論を騒がせているアジアインフラ投資銀行(AIIB)問題を1つのケースとして見てみよう。
AIIB問題を巡って白熱する国際議論は、米中間に横たわる相互不信を彷彿させる。米国は、自らが主導してきたブレトンウッズ体制をはじめとする既存の秩序やルールを変更する動きとしてAIIBを認識する傾向が強い。一方の中国は、米国がAIIBに加盟しないばかりか、同盟国や他の西側先進国に対して“中国主導のAIIBに乗らないように”とロビイングするのを、中国を封じ込めようとする動きとして認識する傾向が顕著である。
ただし、根強い相互不信が続く一方で、これに反するように見える短期的な揺れは存在する。
報道されているように、米国の同盟国である英国を皮切りに、ドイツ、フランス、イタリアといった先進国がすでにAIIBへの加盟を表明した。オーストラリアや韓国も揺れている。加えて、米国自身がAIIBに加盟して、中から中国の動きを監視したほうが建設的だと主張する米国内世論も高まってきた。“封じ込め(containment)”ではなく、“関与(engagement)”を優先する論理である。
例えば、エリザベス・エコノミー米外交問題評議会シニアフェローはブログで次のように主張している。「ワシントンが優先すべきななのは、ピボットやリバランシングを通じて、アジア太平洋地域において米国の知恵や制度を高いレベルで浸透させることである。本当に必要な場合を除いて、中国のイニシアティブを阻止することは得策ではない。例えば、AIIBを発展させようとする中国の努力と防空識別圏の設定を混合しないようにしよう」。
AIIBの運営は未知数
中国も、米国を信用していないからこそ独自の戦略を打ち出し、米国主導の秩序やルールに挑戦しようとしているものの、前途は多難に見える。AIIBは、まだまだ未知数な部分が多いからだ。AIIBへの加盟を西側先進国が次々に表明し、反対を唱える張本人である米国の世論すら揺れている現状を“中国外交の勝利”と見る向きもある。だが、筆者はそうは考えない。
AIIBという組織機構の実態はどうなのか? これから投資を実行していく過程でルールや透明性の問題をどう解決していくのか? 中国主導によるインフラ投資によって、投資を受け入れる国の経済社会が持続可能な発展を遂げるのか? そして、「中国国内にまだ貧しい地域がたくさんあるのに、海外のインフラ投資を主導している場合なのか?」という自国の民衆から投げかけられる疑問にどう答えていくのか?
中国はこれらの問題に真正面から答えていける確信がない。加えて、一国による運営では国際的な信任を保持できないことを自覚している。だからこそ、他国、特に西側先進国の加盟を“歓迎”し、巻き込み、その知恵と経験を借りながら、AIIBを進めていこうとしているのだ。
短期的な揺れや不確実性はあるものの、米中間の相互不信構造はますます複雑になり、長期化していくことになるであろう。
ハーバードは米中インテリジェンスの拠点
舞台をハーバード大学に戻そう。
筆者が同大学に滞在した2012年8月~2014年6月、米中交流の“現場”に遭遇することが少なくなかった。中国関連のフォーラムやセミナーが日々開催されていた。中国の要人が頻繁に訪問していた。著名な企業家・研究者はハーバードを発信のプラットフォームにしていた。優秀な中国人留学生たちがキャンパス内で発言権を強め、教師陣らと意思疎通を深め、人脈作りに奔走していた。
ハーバード大学のキャンパス内で、米中関係の重要事項に関する政策決定や意見交換がなされることもしばしばだった。ハーバードを訪問した中国の閣僚級高官が、米政府の要職を歴任したことのある同大教授との議論を通じてホワイトハウスにメッセージを発信したり、また、ハーバード大を訪問した中国高官が同大教授から政策提言を受け取り、本国に持ち帰って中南海に上げたり。ハーバード大学は米中関係における高度なインテリジェンスの拠点としての役割も担っていたのである。
相互不信の将来は若者しだい
1971年7月、ヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官(当時)が母校であるハーバード大学を訪れ、同大における米中関係や中国問題の専門家たちの意見を汲み取った上で、極秘に訪中した歴史が思い起こされる。2015年3月17日、ファウスト学長が清華大学で講演をしたこの日、習国家主席は人民大会堂でキッシンジャー氏と会談し、同氏の米中関係への貢献を称えた。
筆者にとって、ハーバード大学で過ごしたキャンパスライフで何よりも印象に残っているのは、学部生の某宿舎を訪問した際、中国語を勉強し始めて3年になる米国人女子学生と交流したときのことだ。台湾に1年間留学した経験を持つ彼女の流暢かつダイナミックな中国語に度肝を抜かれた。中国語を勉強し始めて10年が経った筆者に、ガチンコで時事問題に関するディスカッションを挑んできた。彼女は「学んだ中国語を生かして、個人として勝負してみたい。場所は台湾でも中国でもよい。米中関係にはいろんなチャンスがある」と意気込んでいた。
彼女だけでなく、多くのハーバード大生が先行きは不透明だが無限の可能性があるように見える米中関係を自らが飛躍を遂げるためのチャンスだと捉え、中国語の学習に汗を流していた。そんな光景を眺めながら、筆者は7年間通った北京大学のキャンパスをしばしば思い出した。朝も暗いうちから表に出て、英語の朗読やプレゼンテーションの練習を繰り返す北京大生たちの必死な表情が脳裏をかすめた。彼ら・彼女らも、中米関係の繁栄に自らの活路を見出していた。
経済貿易関係、サイバーセキュリティー問題、安全保障問題、軍事・通貨・地域・ルールといった分野における主導権問題など、米中両国が将来的に直面しうる問題は山積しており、相互不信は長期化するに違いない。
筆者は18歳で祖国日本を飛び出した。中国で9年半、米国で2年半学んだプロセスを通じて、いま、米国の首都・ワシントンDCで思うのは、米中間の相互不信が悪化するか緩和するかは、米中関係の未来に自らの進路を重ねて夢を見る若い世代の双肩にかかっているということだ。
そして、そんな米中関係・交流を前にして、私たち日本人は何を考え、どんな行動を取るべきか。この問いこそが、筆者が本連載を通じて訴えたかったことである。
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