安保法制 説得力欠く「合憲」見解
集団的自衛権を行使するための安全保障法制を「合憲」とする文書を、安倍内閣が示した。憲法学者三人が「違憲」と断じたことへの反論だが、説得力を欠き、合憲だとは、とても納得できない。
集団的自衛権の行使容認を正当化するため、最高法規である憲法を、下位法の安保法制に無理やり当てはめたとしか思えない。
文書は、日本を防護するための集団的自衛権の行使は、日本への攻撃が発生した場合に限って武力行使を認める従来の憲法解釈の「基本的な論理」を維持し、「論理的整合性、法的安定性は保たれている」と結論づけている。
安倍内閣が、集団的自衛権の行使容認を正当化するための論拠として再び持ち出したのが、最高裁判所が一九五九年、自衛権の行使を「国家固有の権能の行使」と認めた、いわゆる「砂川判決」だ。
ただ、この判決では、旧日米安全保障条約に基づく米軍駐留の合憲性が問われ、日本が集団的自衛権を行使できるか否かは議論されておらず、判決も触れていない。
この判決後、岸信介首相は集団的自衛権の行使について「自国と密接な関係にある他国が侵略された場合、自国が侵害されたと同じような立場から他国に出かけて防衛することは、憲法においてできないことは当然」(六〇年二月十日、参院本会議)と述べている。
砂川判決が行使を認めた自衛権に、集団的自衛権が含まれていないことは明らかではないのか。
歴代内閣はその後も、集団的自衛権を有しているのは当然だが、その行使は日本防衛のための必要最小限度の範囲を超え、許されないとの憲法解釈を堅持してきた。
国会や政府部内での長年の議論の積み重ねを軽んじ、一内閣だけの判断で、違憲としてきた集団的自衛権の行使を合憲と変えてしまうことが許されるはずはない。
自民党が衆院憲法審査会の参考人として推薦した憲法学者までもが、国権の最高機関である国会の場で、安保法制を違憲と断じた意味は重い。安倍内閣は謙虚に受け止め、一連の法案を撤回すべきではないのか。合憲と主張する憲法学者の実名をいくら並べても、国民は納得するまい。
日本を取り巻く国際情勢が変化しているというのなら、集団的自衛権の行使ありきで非現実的な事例を持ち出すのではなく、変化に即した現実的な防衛政策を検討すべきだ。それが海外で武力を行使しない「専守防衛」の枠内にとどまるべきことは当然である。
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