Don’t Let the Bonds of Anpo Wither Away After 60 Years

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日本と米国がいまの安全保障条約を結んで60年の節目を迎えた。日米同盟に支えられ、戦後日本は繁栄を謳歌した。このことは改めて評価されるべきだ。ただ、自国第一主義の風潮が世界に広がり、両国の絆にも揺らぎがないわけではない。日米安保体制の軌跡を振り返り、私たちのこれからの針路を考える機会にしたい。

国民の安全を守るのは、国家の重要な使命のひとつであり、防衛力整備をおろそかにしてはならない。さりとて、被爆国の日本が核武装する選択肢はあり得ないし、自主防衛には限界がある。やはり仲間がいた方が心強い。

近代日本は英米との友好関係のもとでロシアを破り、大国へと躍り出た。その後、ドイツやイタリアとの三国同盟に方向転換し、あの敗戦を招いた。

日米が1951年に締結した旧安保条約は、米軍の占領体制を追認したものだった。岸信介首相が60年に調印した現条約は、日米双方の役割分担を明確にした。日本自らが日米基軸という針路を選び取ったといってよい。非武装中立論を訴えた社会党は有権者の支持を得られず、衰退した。

では、自民党政権の選択を褒めたたえていればよいのか。それはあまりに短絡的な見方だ。いま国民の9割前後が自衛隊の存在を支持しているが、安倍晋三首相が集団的自衛権行使の限定容認に踏み切った際、自衛隊の活動領域の歯止めなき拡大への懸念は、与党の公明党からも出た。

この「地球の裏側までも行くのか」という不安は、非武装中立論の背後にあった「日米安保によって米国の戦争に巻き込まれる」という不安と根は同じだ。

自民党には「日米同盟によって中国を力で押し返す」といった勇ましい声をあげる向きもあるようだ。それが本当に民意なのか。米軍だって日中の無用な紛争に巻き込まれたくはないだろう。

トランプ米大統領は在日米軍の撤退をほのめかしてきた。日本ではいわゆる思いやり予算の増額を引き出すためのブラフと軽視されがちだが、他国の安保まで面倒見切れないと考える米国民が増えているのは事実だ。ポスト・トランプ政権でも傾向は変わるまい。

大事なのは、日米が等しく利益を得られる同盟に育てていくことだ。寄りかかりすぎず、遠ざけもせず。還暦の同盟を形骸化させてはならない。

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