アメリカ人の友人から言われた「終戦記念日」に対する意外な一言
アメリカ現地での報道は?
日本人なら誰もが感慨深い気持ちになる8月15日の終戦記念日。アメリカの主要メディアでも、毎年8月上旬になると必ずや第2次世界大戦の回顧や日本での戦没者追悼式典などがニュースになる。
今年もいくつか記事が散見された。例えば「Why the U.S. Dropped Atomic Bombs on Japan」(なぜ米国は日本に原爆を投下したのか)、「How We Retain the Memory of Japan’s Atomic Bombings: Books」(日本の原爆の記憶をいかに維持するか)(共にニューヨークタイムズ紙)や「Americans insist the atom bomb ended the war in Japan ― ignoring its human cost」(アメリカ人は原爆が日本の戦争を終わらせたと主張 ― その人的被害を無視しながら)(ワシントンポスト紙)など。当地でもこれらの記事を見た人々は、過去の大戦を振り返った。
ただし原爆投下や終戦について、人々の会話の中で話題に上るかと言うと、筆者の周りを見てもそれほど議論の対象にはなっていない。
2001年にアメリカで起こった世界同時多発テロについて、日本でもニュースとして毎年取り上げられても、人々がその話題について日常の会話ですることがないのと同じである。1941年の真珠湾攻撃も然り。デリケートな内容であるが故、万が一話題に持ち出す際には、政治問題同様に細心の注意が必要なのだ。
原爆投下の是非
2000年初頭にアメリカに移住した筆者は、ふとしたきっかけでアメリカ人の友人と太平洋戦争の話になったことがある。その友人はそれまで数年間日本に在住経験があり、知友にも恵まれどちらかと言うと日本びいきだ。しかし、話が太平洋戦争、特に原爆投下のことになると目の色が変わった。
筆者の出身地は福岡県の小倉近くで、そこは本来、原爆投下予定地だった。「『もし小倉に落ちていたら私たちは今ここにいないかも』という話を両親からされたことがある」という話を何の気なしにしたところ(当然だが誹議する意図は微塵もなかった)、普段はおっとりした性格のその友人はこう言い放った。
「降伏を促したにもかかわらず日本は戦争を続行した。あの原爆が落ちなかったら戦争はもっと長引き、自分の祖父をはじめさらに多くの犠牲者が出ただろう。自分も今ここにいないかもしれない」
売り言葉に買い言葉だったのかもしれないが、気心知れた仲だからこそ冷や汗が出る出来事だった。それ以来、(あまり機会はないが)友人との会話に戦争の話題を持ち出す際は、十分すぎるほど配慮するようにしている。
原爆投下の是非については日米で受け止め方が大きく異なっており、しばしば議論の俎上に載せられる問題である。
『ナガサキ―核戦争後の人生』の著者でもあるノンフィクションライターのスーザン・サザード氏は、今年8月7日にワシントンポストに寄稿した、前述の記事の中で「原爆が戦争を終わらせたという考えは許容できない」とし、改めて被爆者の声を聞き、悲劇を2度と繰り返してはならないと綴った。
またオリバー・ストーン氏も自身が監督した2012年のドキュメンタリー番組『語られていないアメリカ史』を通し、原爆投下不可避論者に異議を唱えている。しかしそれらの意見は少数派だ。あくまでも多数派は筆者の友人のような意見であり、一般的なアメリカ人(ここで言うアメリカ人とは、第2次世界大戦期をサバイブしたアメリカ人の祖先を持つ人のことを指す)の原爆投下に対する代表的な意見と言っても過言ではない。
「戦後…はぁ?」
またこんなこともあった。別のアメリカの友人(戦争反対派)との会話で、終戦話を持ち出した時のこと。
「戦後…? 何言ってるの」と力なく鼻で笑われたことがあった。1945年8月14日(日本時間15日)は、日本の降伏が伝えられた日だ。この日、ニューヨークのタイムズスクエアは歓喜に満ちた。兵隊が看護師の女性にキスをしている情熱的な一瞬を写真家アルフレッド・アイゼンスタット氏がとらえた、世界中で知られる写真「勝利のキス」が撮影された日である。あの1コマからも、どれだけアメリカの人々がこの日を喜び迎えたか、想像に難くない。
しかし友人の「はぁ?」については、その後説明を聞いて筆者も納得した。アメリカは常に戦争をしている国なので「戦後」という概念がないのだと言う。確かに日本が1945年に終戦を迎えた後も、アメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争など多数の戦争、他国の紛争や内戦に介入してきた。
ただし第2次世界大戦に焦点を当てるなら、アメリカにとっての終戦日はドイツの降伏で欧州戦が終結した1945年5月8日(VEデー)、日本がポツダム宣言による降伏文書に署名した同年9月2日と言えるだろう。この日はVJデー(Victory over Japan day、対日戦勝記念日)と呼ばれている。
しかしあれから半世紀以上が経った現代では、毎年これらの日を祝う人は筆者の周りを見てもいない。そもそも9月上旬はアメリカ人にとってレイバーデー(労働者の日、毎年9月第1月曜日)の方がイベントとしての意義が大きい。子どものいる家庭は夏休み最後の週末を、伝統的に親戚や友人を裏庭に招き、盛大にバーベキューをして夏の終わりを楽しむ日なのだ。
60代になる日系アメリカ人の友人は、VJデーについてこのように教えてくれた。
「夫の両親(白人のアメリカ人)のように90代より上の人々は第2次大戦期を生き抜いた世代として、VJデーは意義深い日だったかもしれません。しかし、私の世代以降はこの日についてあまり知りません。そして年月が経つにつれVJデーへの関心がなくなりつつある理由は、この国が第2次大戦だけではなく、それ以降も多くの戦争にかかわってきたからなのです」
筆者は75回目の終戦記念日を、一時の敵国である遠いアメリカ・ニューヨークから今年も静かに見守る。「終戦」という概念がない国ではあるが、今後もいかなる戦争も起こらないように、世界の平和をただただ願うばかりだ。
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