中央銀行はどんな経済問題でも解決できるのか。ゼロ金利に張りつく金融政策の限界が意識されているはずなのに、次々と新しい役割を求められている。特に焦点が当たるのが格差是正。米連邦準備理事会(FRB)の新たな使命として浮上してきた。
民主党のバイデン前副大統領が勝利を確実にした米大統領選では、同党の政策綱領で「FRBの使命に人種の平等を加えることを支持」と明記されたことが市場や有識者らの間で騒ぎになった。
税金の徴収や補助金の支給など資源の再配分は選挙で選ばれた政治家の役割。景気や物価の全体像を見渡す中銀がこの領域に踏み込めば、正当性やその機能が問われかねない。これが常識だった。
さぞFRBも抵抗しているだろう。そう思いきや、パウエル議長が率いるFRBは自ら格差問題に積極的に関わろうとしている。
カギは8月に導入した金融政策運営の新たな枠組みにある。柱は長い目でみて平均的に2%の物価上昇をめざす「平均インフレ目標」の導入だ。2%割れが長く続いたことを踏まえ、当面2%を超えても金融は引き締めない。新型コロナウイルスが経済危機をもたらすなか、市場ではゼロ金利が長引くとの観測が強まった。
FRBは新たな枠組みを打ち出した際、その理論武装となる10本あまりの論文も公表した。その1つ、「金融政策戦略の分配に関する考察」と題する論文では、平均インフレ目標の導入が低所得層に特に大きな恩恵を及ぼすとの分析結果を明らかにした。
近年、格差問題と金融政策の関係を調べる研究が活発になってきた。格差問題を無視して景気の分析や最適な金融政策の処方箋を描きにくくなっているためだ。
今回の論文も、格差拡大で金融政策運営が難しくなると主張した。理由はこうだ。貯蓄にお金を回すことの多い高所得層に富が集中すると「過剰貯蓄」の傾向が強まって金利を押し下げる。ゼロ金利環境になりやすく、中銀の手足を縛る。一方、貯蓄の「のりしろ」が乏しい低所得層が増えると、失業が消費の急減に直結し、景気後退が深刻になる。11月の米連邦公開市場委員会(FOMC)の議論でも、中低所得層の資金繰り悪化や消費急減を懸念する声が出た。
かつては金融政策の効果を測る際、無数の家計を同じ性質の「金太郎あめ」のように扱うことが多かった。これだと所得や富の格差はないという前提になる。代わりに所得や資産の水準や構成が違う様々な家計を前提に置く「HANK(異質な主体を扱うニューケインジアン)モデル」と呼ぶ手法が発展し、金融政策と格差を詳しく分析できるようになった。
ゼロ金利の環境下で起きる深刻な景気後退をHANKモデルはどう描くのか。論文では、通常の金利操作の場合、失業率は平時の6%から14%近くに高まるとはじく。平均インフレ目標でゼロ金利の長期化を約束した場合は12%前後。両者の差はわずか2ポイントだが、黒人男性や高卒資格のない男性に限れば、ざっと2倍の「効果」がみられる分析結果もあるという。
一部の識者からはFRBが演出した長引く低金利環境こそ資産価格の高騰を呼び、富める者をより豊かにしてきたとの批判が出ていた。米大統領選をはじめ格差是正が世界的な関心を呼ぶなか、「FRBは格差問題の敵」という印象が強まりかねない。新しい分析手法を持ち出して「長期緩和こそ格差問題に有効」という逆の論陣を張ったようにみえる。
平均目標の肝は景気が回復に向かってもゼロ金利をやめず、経済活動を刺激する点にある。FRBは新たな枠組みで事実上、「物価急騰の懸念が小さいため、労働市場の過熱は気にしない」と宣言した。失業率の低下を最優先にして緩和を続ければ、その恩恵は低所得者により多く向かう。
労働市場の過熱をテコに経済を刺激する手法は労働経済学者でもあるイエレンFRB前議長が言及した「高圧経済」の考えそのものだ。米国の次期財務長官に、そのイエレン氏が指名された。金融政策を熟知するだけにFRBに無理な圧力をかけることはなさそうだが、バイデン政権が格差是正をめざすうえで、FRBの新旧議長コンビの存在感が高まりそうだ。
各国の中銀関係者には懸念の声も上がる。欧州中央銀行の元専務理事、イッシング氏は評論サイトで「格差論争へのパウエル議長の介入は最終的に裏目に出る」と指摘した。将来、引き締めの地ならしを始めたとき「社会の最貧層を傷つけないように、という大きな政治圧力に直面する」からだ。
「金融安定とのバランスを欠く」(日銀OB)との声もある。過去の教訓に照らせば、長期の金融緩和の行き着く先はバブルの生成と崩壊だ。バブル崩壊は資産家層にも痛手だが、住宅バブルに端を発した2008年の米金融危機で多くの低所得者が家を失ったように、長期緩和が最終的に低所得層に利するのかは疑問も残る。格差問題もにらんで緩和を続けた揚げ句、最終的に格差を広げてしまう可能性もゼロとは言い切れない。
金融政策は国債の大量購入などを通じて財政との一体化が進み、ただでさえ政治から「便利な財布」として使われるリスクをはらむ。中銀も格差問題を直視する必要が生じているのは確かだが、格差にピンポイントに効く手立てが見当たらない以上、対応には細心の注意が欠かせない。
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