<社説>コロナの時代に考える 民主主義は生き残るか
新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちの暮らしのみならず、国際関係にも大きな影響を与えています。顕著になったのは「新冷戦」にも例えられる米中間の対立です。選挙による「民主主義」と共産党一党支配の「専制主義」が優位性を争う中、民主主義は生き残ることができるのでしょうか。
歴史を少しだけ振り返ります。世界はかつて資本主義と共産主義の二つの陣営に分かれ、激しく対立していました。冷戦と呼ばれたこの対立は一九八九年、それぞれを率いた米国とソビエト連邦(ソ連)によって終結が宣言され、その二年後、ソ連は崩壊します。
◆政治体制巡る米中対立
冷戦終結後は一時、資本主義陣営を率いた米国の一極時代を迎えますが、無謀なイラク戦争や、リーマン・ショックなど資本主義を巡る混乱でその優位性は薄れていきます。代わりに台頭したのがかつて東側陣営だった中国です。
中国は資本主義諸国の疲弊を横目に、経済的な力をつけ、それに伴い、軍事力も増強します。「中華民族の偉大な復興」を掲げる習近平体制の下、その傾向はより顕著になりました。東シナ海や南シナ海では、中国の海洋進出が周辺国との間で緊張を高めています。
バイデン米政権は、軍事力を増した中国が「六年以内に台湾を侵攻する恐れがある」との警戒感も強めています。
菅義偉首相とバイデン米大統領との初の日米首脳会談後に発表された共同声明では、五十二年ぶりに台湾問題に言及しました。
かつてない緊張の高まり、米中「新冷戦」の到来です。
米中は軍事や経済に加え、政治体制を巡る対立も深めています。
バイデン大統領は三月、就任後初の記者会見で、米中関係を「二十一世紀における民主主義の有用性と専制主義との闘いだ」と位置づけ、中国との競争を制することに力を注ぐと強調しました。
◆自由・人権どこまで制限
米中対立の火に油を注いだのが新型コロナウイルスです。発生源を巡る論争に加え、米中両国の初期の感染対策が正反対で、感染者数に大きな違いが出たからです。
発生当初、米国のトランプ政権は自由を重んじてマスクすら推奨せず、一方、中国は武漢を二カ月半にわたり都市封鎖しました。
米ジョンズ・ホプキンズ大学の集計によると、新型コロナの死者は米国で五十七万人を超えたのに対し、中国では五千人弱にとどまります。習国家主席は「共産党の指導と、わが国の社会主義制度の明らかな優越性を示した」と、体制の優位を宣伝しています。
確かに、民主主義国家では感染対策を講じるにも自由や権利に十分配慮することが必要です。中国のような非民主国家では、個人の権利よりも公衆衛生優先の強硬策を採ることができます。
実際、民主主義下で感染抑え込みに成功したのは、ニュージーランドや台湾などごく一部です。
でも、民主主義より専制主義の方が優れた政治制度とは思えません。いくら感染を抑え込み、経済的に台頭しても、個人が尊重されず、自由や人権が軽視される社会が健全とは言えないからです。
専制国家、旧東独出身のメルケル独首相の演説から紹介します。
「私たちは民主主義国です。何かを強いられるのではなく知識を共有し、活発な参加を促すことで繁栄します。これは歴史的な仕事です。私たちが力を合わせ、立ち向かうことでのみ克服できます」
黒人初の米副大統領となったハリス氏はこう訴えました。「米国の民主主義は決して保障されたものでなく、私たちの意志があってこそ強くなります」
確かに民主主義は完璧な制度ではなく、人類史に登場した他の政治制度より少しましなだけかもしれません。だからこそ、より良くするための努力が必要なのです。
民主主義に関する気になる報告があります。スウェーデンの調査機関V−Demによると二〇一九年時点のデータですが、民主主義の国・地域は八十七に減り、非民主主義の国・地域は九十二に増えました。民主国家の数が非民主国家を下回るのは十八年ぶりです。
◆力合わせて良い制度に
新型コロナを巡る民主主義国家の苦境や中国の経済的台頭は、これから民主化を目指す人々をためらわせるかもしれません。そうならないよう民主主義国の私たちが奮起して自由や人権を守りながら感染を抑え込み、豊かに生きる姿を示さなければならないのです。
民主主義は生き残るか、ではなく、民主主義を生き残らせるためにどう行動すべきか。コロナの時代は私たちにそう語りかけます。
◇ ◇
コロナ禍は一年以上続き、感染は依然拡大が続きます。私たちはこの「コロナの時代」をどう生きればいいのか。読者とともに、さまざまな視点から考えます。
Leave a Reply
You must be logged in to post a comment.