市民社会」による啓発に抵抗感、日本のNGOの成長阻むメンタリティー
2021/07/11 09:27
グローバル化が進む中、非政府組織(NGO)の役割が改めて注目されている。環境や貧困対策など地球規模問題に関する国際会議では、国家と並ぶステークホルダー(利害関係の当事者)として発言し、議論の流れを作ることもある。プラスチックゴミ削減や大国の人権抑圧への抗議活動にも率先して力を注ぐ。
世界で絶えない災害や紛争に目を転じれば、国連機関と協力し、困っている人々に常に寄り添う姿がある。
だが、日本のNGOは欧米に比べると、今ひとつ存在感が薄い。なぜなのか。今後、どのような活動を目指していくのか。
NGO活動歴30年。「難民を助ける会」会長を務める立教大の長有紀枝教授(58)の研究室を訪ねた。(調査研究本部 大内佐紀)
そこにあるのに見えていない…潜在的な問題を提起する
非政府組織(NGO)の役割とは何でしょうか。
「政」が予算の優先順位をつけ、「官」がそれを遂行します。この過程で切り捨てられるものも決まる。この決定は誰かがしなければならないことであり、悪いとは言いません。ただ、取りこぼされる人や、日の当たらない問題が出る。そこに光を当てるのがNGOの役割だと思っています。
全体の優先度は低くても、誰かにとっては死活問題だ」という認識や想像力を持つのは多様性を重んじることに通じます。
NGOに対しては、「あなたたちは誰からも選ばれていない。勝手にやっている」という批判があります。でも、選挙で投票してくれた多数の人を代表する「政」とは別に、少数の人の立場を代弁する。あるいは、後回しにされがちだったり、まだ争点になっていないが構造的・潜在的だったりする問題を提起し続けることこそがNGOの存在意義ではないでしょうか。
NGOの活動は、助けを必要としている人や地域への支援と、何かについて声を上げる啓発に大別できます。
「難民を助ける会」の活動で見れば、前者の代表例は東日本大震災など自然災害の被災者やシリアや南スーダンでの内戦に巻き込まれた市民への支援です。後者は、対人地雷禁止条約への日本国民の支持を広げるキャンペーンを展開し、政府に政策転換と加入を働きかけ、実現したことです。
いまだ根強い「民は余計なことはするな」
2000年にNGO、財界、外務省が対等なパートナーシップの下で一体となって効率的な緊急支援を行うことを目的に、特定非営利活動法人(NPO法人)「ジャパン・プラットフォーム」が発足しました。旧ユーゴスラビア・コソボでの紛争で、欧米のNGOがこぞって支援に当たったのに、日本は非常に出遅れた反省から誕生した組織です。
私たちの当初の想定は、次々と生じる国際紛争の緊急援助で日本が機動的に活動することでした。でも、紛争地での活動には資金がなかなか集まらない。
日本の一つの特徴として、自然災害の被災者には寄付金が集まるのに、紛争地での被害者支援になると苦労することがあります。企業の方々と話を重ねてわかったのは、自然災害の被災者は一点の曇りもない犠牲者で、その支援に異を唱える人はいないが、紛争は別だという考えです。紛争地に資金を出せば政治的意図があると疑われかねない。これでは自社の役員や顧客を説得できない、ということでした。
支援活動にせよ、問題提起の活動にせよ、欧米のNGOは、はるか先にいます。例えば、日本のNGOのトップ45団体と米国の20の開発・人道支援団体を比較した調査があります。1団体あたりの年間平均予算は米国の約492億円に対し、日本は6.3億円。平均職員数は米国の665人に対し、日本は23人。桁が違います。
カナダ政府高官から、「長年の活動を通して、政府とNGOのパートナーシップは対等でないと機能しないことを学んだ」と聞いたことがあります。この対等の関係を築くことが日本では難しい。
「難民を助ける会」は1979年、初代会長の相馬雪香がインドシナ難民支援を目的に始めました。相馬は、「議会政治の父」として知られる政治家・尾崎行雄の三女で、「政」「官」に知己が多かった。ところが、一緒にやろうと働きかけたら「それは官の仕事だ。民は余計なことはせんでもいい」と相手にされなかった。
この「民は余計なことはするな」というメンタリティーはいまだ、日本の官の一部に根強く残っていると感じることがあります。
対人地雷やクラスター爆弾の禁止といった軍縮から戦争犯罪人の処罰、環境や貧困対策など国連の持続可能な開発の問題まで、NGOの提唱で国際世論が盛り上がり、ルールが作られることが、2000年前後から増えています。政府への提言や、一般の方々への問題提起は本来、NGOの大事な仕事です。
ただ、日本の場合、「市民社会」による啓発への抵抗感が、官にも民にも強くあるように感じます。
アフリカの貧困問題・日本の児童虐待…同じ基準で捉えられるか
日本人は概して個人の道徳心は高い。でも、世界をよりよく変えるための努力より、周囲との調和に重きを置く人が多いのかもしれない。何かに対して声を上げることは、すなわち調和を乱すことにつながります。
日本のNGOも、この20年間ほどで成長しました。例えば、若い世代が持つイメージです。私がこの世界に入ったころにはまだ、奇特な人の活動と見られがちだった。それが、ある程度、社会的に認知された仕事の仲間入りしたのを感じます。
とはいえ、急速に伸びているのは、外国発祥の大手NGOです。私の目標の一つは、日本育ちのNGOを強化することです。国際協力をするのに、どこで始まった組織なのか、“国籍”にこだわるべきではないという声は耳にします。でも、非政府組織、民間団体とはいえ、その国の社会や歴史と無縁ではありえません。
我々は唯一の核被爆国であり、東日本大震災や東京電力福島第一原発の事故を経験しています。そんな国のNGOが世界に向けて発信すべき事柄は多いはずです。また、日本発のNGOの成長は、とりもなおさず日本社会全体の国際協力や持続可能な開発目標(SDGs)への関心を高めることに直結すると思います。我々は、社会の支えと理解あっての存在ですから。
官民を問わず、日本にとって重要なのは国内外の問題で、ぶれない政策を持ち、支援に力を入れることだと痛感します。私のもう一つの目標は、日本としての明確な行動規範を作り、社会全体に認知されるようにすることです。
日本には、欧米のような人権に関する社会規範が歴史的に育っていません。中国による少数民族ウイグル族への弾圧への対応を見ても、欧米は人権侵害を声高に批判し、制裁を強める。では日本は何を根拠に何に取り組むのか。
欧米が騒ぐから同調するのではなく、日本にとって順守するべき柱が必要です。元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんが尽力し、国連が打ち出した「人間の安全保障」という考えがこの物差しになり得ると、私は考えます。
人間の安全保障とは、「人間一人ひとりに焦点をあて、その人を保護し、能力を伸ばし、尊厳ある生活を送れるような世界を作る」という「人間ファースト」の発想です。加害者や被害者が誰か、遠い外国で起きていることか、目の前の問題か、などには関係なく、「人間の安全保障」という統一の物差しで測る。
アフリカの貧困問題も日本の児童虐待も同じ基準でとらえ、行動するようになれば、日本の未来は確実に変わる。そう信じています。
「難民を助ける会」会長 長有紀枝(おさ・ゆきえ)氏 58
茨城県出身。東大大学院でジェノサイド研究にて博士号取得。早大大学院修了後、1991年からNGO「難民を助ける会」に参加、2008年から理事長、21年6月から会長。元ジャパン・プラットフォーム共同代表理事。09年から立教大教授。著書に『スレブレニツァ』(東信堂)、『入門 人間の安全保障』(中央公論新社)。
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