Driving Off This Flood of Prejudice

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週のはじめに考える 非寛容を打ち払いたい

国際テロ組織アルカイダが起こした二〇〇一年九月十一日の米中枢同時テロ=写真はロイター・共同=から二十年がたちました。

 米国は翌月、アルカイダを保護していたアフガニスタンのタリバン政権を倒すため、同国に侵攻。〇三年三月には、フセイン政権下のイラクと開戦しました。

 フセイン政権は崩壊しましたが、アフガンでの米軍駐留は先月の撤退まで続き、結局、タリバンが復権しました。テロと二つの戦争。この巨大な暴力の連鎖はいまも世界に影を落としています。

◆秩序崩した暴力の連鎖

 一連の出来事が衝撃的だったのは、領土を基盤とする国民国家の概念や戦後の国際秩序という「常識」を揺るがしたからです。

 アルカイダが米国を攻撃した理由はパレスチナ問題でのイスラエル支援など、米国を西欧によるイスラム圏侵略の中枢と見なしたためです。イスラム主義者の世界観は既存の国境とは無縁で、世界をイスラム圏と異教徒世界に二分します。9・11もイスラム圏防衛の聖戦と位置付けていました。

 一方、当時のブッシュ米大統領も米軍を「十字軍」になぞらえました。信仰の力で「アルコール依存症から生まれ変わった」と公言する大統領は国内のキリスト教右派の一群と親密でした。その一群は聖書の記述を根拠に、イスラム圏との攻防が「キリストの再臨」や「千年王国」を近づけると信じ、これらの戦争を後押ししたのです。

 ブッシュ政権の中枢を操っていた新保守主義派(ネオコン)も剣呑(けんのん)な集団でした。彼らは先制攻撃戦略の信奉者たちです。「怪しければ、殴られる前に殴れ」という論理です。当然、国連憲章下の国際法では認められません。それでも戦争を起動したのです。

 国と国の構図では収まらない対立にあおられ、弱肉強食の論理が横行しました。一連の争いは戦場の外にも流血を広げました。

 具体的には欧州でのテロです。イスラム教徒の目からは、アフガンとイラクでの戦争は西欧の侵略にほかならず、一部の若いイスラム教徒は凶行に走りました。

 イラクでは敗戦により国民国家の体裁が崩れ、同じイスラム教徒の間での宗派対立が激化し、それがスンニ派の過激派「イスラム国(IS)」を生み出しました。

 米国主導の「対テロ戦争」も乱用されました。各地の強権的な政権は反政府派弾圧の口実に使います。それは国家を支える「法の支配」の論理を衰退させました。

 こうした強権政治や宗教的な扇動に異議をとなえたのが、一〇年暮れから始まった「アラブの春」です。チュニジアで警官から暴行された青年が抗議の焼身自殺をしたことが起点となったのです。

 瞬く間にいくつかの独裁政権が倒されましたが、民主化には結実せず、少なからずの国が内戦に陥りました。その結果、膨大な難民が欧州に流れ込みました。

 それ以前の断続的なテロ事件の影響もあり、欧州では難民排除を叫ぶ排外主義の嵐が吹き荒れました。新自由主義政策による格差拡大もそれに拍車をかけました。

 各国では出自にとらわれない普遍的な人権尊重の精神が揺らぎ、逆に民族や宗教をよりどころとする風潮が強まりました。国際的にも協調よりも自国優先が当たり前のように語られ始めます。米国のトランプ前政権が好例です。

◆「敵」なくす共同作業

 こうして9・11とその後の戦争は、世界を非寛容と敵意の海に塗り替えていきました。一部で揺り返しや多様性を訴える声もあります。しかし、殺伐とした空気はいまも世界中に漂っています。

 こうした流れを覆すことはたやすくありません。危機に際しては誰もが自己防衛のため、民族や宗教への帰属を深めがちです。そのために本来なら共存可能な異分子を「敵」と想定するのです。

 どうすべきなのか。「敵」をなくすことが最短の道に見えます。人種や言語が違っていても、誰もが同じ痛みを感じる人間にすぎないことに気づくべきです。

 折しも世界はコロナ禍に襲われています。出自にかかわらず、人間である限り、誰もが感染してしまう。そして一人でも地球上で感染している限り、この悪夢は終わりません。「敵」づくりはコロナ封殺の障害にしかなりません。

 「災いを転じて福となす」という言葉があります。感染症との共同の闘いが、9・11から始まった非寛容の空気を打ち払う契機とならないか。角度を変えて見れば、災いであるコロナ禍も世界を救う好機であるかもしれません。

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