50 Years after America Relinquished Control over Okinawa, Has It Truly Become Part of Japan?

<--

沖縄復帰50年 本土の心離れていないか

太平洋戦争末期に米軍に占領され、戦後も米国に統治されていた沖縄は、1972年5月15日に日本へ復帰した。今年はそれからちょうど50年となる。

 悲惨な地上戦の舞台となり、他国に27年間も支配された沖縄は、日本のどの地域とも違う苦難の歴史をたどった。それによって生じたひずみは復帰から半世紀の今も解消されていない。

■「雪が降る」のうわさ

 「日本に復帰したら、沖縄にも雪が降る」-。復帰の1~2年前、沖縄の小学生の間でこんなうわさが広がったという。

 那覇市に生まれ育ち、沖縄の復帰後についての著書がある編集者の新城和博さん(58)は、それをよく覚えている。

 「学校で復帰について教わるんだけど、子どもにとっては『日本になる』の意味がよくわからない。それで子どもなりにイメージしようとして『島ごと動いて九州にくっつくのでは』『それならきっと雪も降る』などと話していました」と語る。

 当時、米国の統治下にあった沖縄の人々が熱烈な「祖国復帰運動」を繰り広げたのは、復帰を「米国の横暴な支配からの脱却」と位置付けたからだ。

 日本政府は米国との復帰交渉で「核抜き、本土並み」の原則を掲げた。「本土並み」は日米安保条約の適用と施政権に関する条件だが、沖縄の人々には「復帰すれば本土と同じになれる」という希望の言葉だった。「雪が降る」の想像も、そんな期待の中で生まれたのだろう。

■基地の集中は増した

 それから50年。沖縄は「本土並み」になったのだろうか。

 沖縄県資料によれば、復帰の年(72年)の1人当たり県民所得は全国平均の59・5%。それが2018年度には74・8%に縮まった。しかし、同所得の都道府県ランキングで沖縄はほぼ毎年最下位である。米国統治下の輸入偏重政策で、製造業が育たなかったのが響いている。

 米軍基地はどうか。沖縄県内の米軍専用施設の面積は、復帰の年が2万7893ヘクタールだった。それが20年までに1万8484ヘクタールに縮小している。

 ただ集中の度合いでいえば、全国の米軍専用施設面積に占める沖縄の割合は、復帰の年は58・7%だったのが、20年には70・3%に上昇。本土に比べて沖縄での基地削減は進まず、集中度はむしろ増している。

 米軍の横暴な振る舞いも相変わらずだ。軍用機やヘリが墜落しても米軍は県警に現場検証もさせない。昨年は発がん性が疑われる物質を下水に流したことが発覚した。そんなニュースが流れるたび、沖縄の人々は「本土との違い」を強く意識する。

■無理解と無関心では

 日本政府は今、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を強引に進めている。米軍優遇の根拠である日米地位協定の見直しには取り組もうともしない。沖縄県民が上げ続ける声は、ほったらかしにされている。

 では、本土の住民の意識はどうか。16年10月、沖縄県東村で米軍ヘリ基地建設工事に抗議する住民に対し、本土から警備の応援に派遣されていた機動隊員が「土人が」と言い放った。

 折しも同じ年の1月、沖縄本島での観測史上初となる雪(みぞれ)を記録した。子どもたちが「日本になる」の象徴としてイメージしていた自然現象が現実になった。しかしそれとは裏腹に、本土の住民は沖縄との一体感を強めるどころか、無理解と無関心により沖縄から遠ざかっているようにさえ見える。

 本土の住民はこの50年間、かつて「日本になる」ことを夢見た沖縄の期待に応えてきただろうか。節目となる今年、沖縄と本土との関係を改めて見つめ直し、その距離を縮めたい。それには、本土の住民が沖縄の歴史と現状を知り、沖縄の心を想像する努力が求められている。

About this publication