50年前のきょう、岸信介首相とアイゼンハワー大統領が出席して、米ホワイトハウスで、現在の日米安全保障条約への署名が行われた。
これがやがて、60年安保闘争として歴史に残る騒乱につながる。5カ月後には、全学連の学生らが国会に突入。樺(かんば)美智子さんが命を落とした。
戦争が終わってから、まだ15年だった。しかも、当時は米ソ両国による冷戦のまっただ中だ。アジアでは朝鮮戦争は休戦したものの、間もなくベトナム戦争が始まるなど、身近に戦争が感じられる時代だった。
朝日新聞の世論調査では、安保改定で日本が戦争に巻き込まれるおそれが強くなったとの回答が38%もあった。日本の安全を守る方法として、中立国になることを挙げた人も35%いた。
A級戦犯だった岸首相の復古的なイメージや強引な政治手法への反感も強かった。占領以来の鬱屈(うっくつ)したナショナリズムが噴出したとの見方もある。
それから50年、同盟の半世紀は日本社会にとって同盟受容の半世紀でもあった。今や朝日新聞の世論調査では、常に7割以上が日米安保を今後も維持することに賛成している。
冷戦終結後、アジア太平洋地域の安定装置として再定義された日米同盟の役割はすっかり定着した。核やミサイル開発を続ける北朝鮮の脅威や台頭する中国の存在を前に、安保体制の与える安心感は幅広く共有されているといえるだろう。
日本が基地を提供し、自衛隊と米軍が役割を分担して日本の防衛にあたる。憲法9条の下、日本の防衛力は抑制的なものにとどめ、日本が海外で武力行使することはない。在日米軍は日本の防衛だけでなく、抑止力としてアジア太平洋地域の安全に役立つ。
それが変わらぬ日米安保の骨格だ。9条とのセットがもたらす安心感こそ、日米同盟への日本国民の支持の背景にあるのではないか。
米国の軍事行動に日本はどこまで協力すべきか、おのずと限界がある。国論が二分する中でイラクに自衛隊を派遣したが、もし9条という歯止めがなかったら、その姿は復興支援とは異なるものになっていたかもしれない。
アジアの近隣諸国にも、「9条つきの日米同盟」であったがゆえに安心され、地域の安定装置として受け入れられるようになった。
アジアの姿はさらに変わっていく。日米両政府が始めた「同盟深化」の議論では、新しい協力の可能性や役割分担について、日本が主体的に提示する必要がある。米軍基地が集中する沖縄の負担軽減や密約の解明問題も避けて通れない。
しかし、「9条も安保も」という基本的な枠組みは、国際的にも有用であり続けるだろう。
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