アカデミー賞 米国の傷心を垣間見た
映画界の“金メダル”、米アカデミー賞は、イラク戦争の狂気をリアルに描く「ハート・ロッカー」に輝いた。華やかなレッドカーペットのその先に、米国の「傷心」と「良心」を垣間見た。
いつにも増して話題豊富な授賞式だった。が、オスカーは今の米国に深く鋭い疑問を呈した。
作品賞の候補作が今年から十作品と昨年までの二倍に増えた。
その中から、事実上の一騎打ちと評されたのが、イラク戦争の影の英雄とも目される爆発物処理班の日常と狂気を描いた「ハート・ロッカー」(キャスリン・ビグロー監督)と、興行収入記録を塗り替えたSF3D大作「アバター」(ジェームズ・キャメロン監督)だった。両監督がかつて夫婦だったのも話題を呼んだ。ともに九部門にノミネート。結果的には、「ハート・ロッカー」が作品賞、女性として史上初の監督賞など六部門に輝き、「アバター」は視覚効果賞など三部門にとどまった。
「ハート」は「心」ではなく「傷ついた」という形容詞、「ハート・ロッカー」は「棺おけ」つまり「行きたくない場所」のこと。このタイトルがすべてを表しているような作品だ。爆弾が日常の一部になった砂漠の戦場。貧しさ故の志願兵、だが、本当はこの世で最も行きたくないところ-。傷だらけの米国による、そんな真情の吐露なのだろう。この作品に映画界最高の栄誉を与えるまでに、米国は覚醒(かくせい)したということか。
一方の「アバター」も、画期的な映像技術だけにはとどまらない。膨大な価値を生む希少金属を手に入れるため、生物多様性豊かな異星の森を侵略する米国企業の物語。しかも、傷ついた元海兵隊員の傭兵(ようへい)の視点で語られる。こちらにも反戦と、環境破壊への警鐘が底流に強く脈打っている。
米国内で保守層から「反米、反軍の映画だ」という批判も相次いだ。逆風をはねのけての三部門受賞である。
CG偏重、リメークばやり、大作主義への批判。ここ数年、授賞式の季節が来るたびにハリウッド映画の凋落(ちょうらく)が話題になった。だがやはり、映画は今も変わらず米国の象徴の一つである。3Dという新しい表現方法を確立し、自らの過ちや傷心と向き合う姿勢を見せた米国映画は、名実ともに魅力的である。
日本映画も、アニメ人気に安住している場合じゃない。映画の都に学ぶべき点はまだ多い。
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