The Persistent Shadow of al-Qaida

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消えない「アルカイーダの影」

米国が国際テロ組織アルカーイダの指導者、ウサマ・ビンラーディン容疑者を仕留めたとの知らせは、あの9・11米中枢同時テロから10年を目前にして、唐突にもたらされた。キリスト教世界を敵視し、米欧の傀儡(かいらい)とみなされたアラブ・イスラム世界の親米政権をも標的とした独特の「ジハード(聖戦)」論のシンボルとなってきた同容疑者の殺害で「テロとの戦い」は確かに、ひとつの歴史の節目を越えた。

 しかし、米国でわき上がった歓喜の声とは裏腹に、ビンラーディン一派が唱えてきた過激思想は、イスラム世界の教義的な主流となり得なかったものの、この10年間に各地に拡散し、同容疑者の生死とは無関係に今後も増殖しうる危険もはらんでいる。

 「ビンラーディン」に象徴されたイデオロギーは、やや乱暴に要約すれば、▽米欧のキリスト教諸国とユダヤ教のイスラエルが手を結んだ十字軍の侵略からイスラム世界を防衛せよ▽そのために、全イスラム教徒は軍人、文民を問わずに米国人と、その同盟者を攻撃・殺害する義務を負う-というものだった。

ビンラーディン一派の「主観」では、1980年代のアフガニスタンでの「対ソ連聖戦」に勝利した後、焦点は「軍事力でアラブ・中東世界に君臨する米国」に対する聖戦に移った。各地の米大使館や米軍艦船に対する自爆テロを繰り返し、それがついに9・11の米本土攻撃につながった。

 アルカーイダのもうひとつの特徴は、米ソ冷戦後に急速に進んだグローバル化やネット社会と表裏一体をなすネットワーク型という点だ。

エジプトで1981年にサダト大統領を暗殺したイスラム過激派は、「腐敗した為政者」を打倒し、厳格なイスラム法施行に基づく理想社会を目指すという“一国革命論”だった。ところが、アルカーイダは、世界のどこにあっても敵を討つという“世界革命”的な色合いを強めた。その手段として、衛星テレビやネットを通じた呼びかけを活用した。

 それゆえ、思想的に共鳴するネットワーク的な組織がアメーバのように自立的に活動し、もはや指導部の具体的な指示を必要とせず、米欧や中央アジア、アフリカなど周辺部のイスラム教徒の一部にも巣くうという広がりを持つ構造へと変化している。

 この点こそが、「アルカーイダ的」なるテロへの対処の難しさを示している。

 もちろん、米欧の移民を中心としたイスラム教徒の主流はアルカーイダを否定しており、彼らを危険視し疎外感を与えること自体がかえって危険だ。デリケートな宗教対話が必要とされるゆえんだ。

 希望もある。今年に入ってアラブ世界を席巻している「民主革命」だ。チュニジアやエジプトでの激動の原動力となったのは宗教ではなく、閉塞(へいそく)感を強めた世俗主義的な若者たちだった。そこに宗教が絡んだとしても、アルカーイダよりはるかに穏健で現実主義的なイスラム勢力が中心となっている。「アラブの春」では、アルカーイダ的な過激な言説は今のところ、影響力を持ち得ないでいる。アルカーイダは明らかに退潮傾向にある。

 ただ、実態の見えにくい過激思想の広がりを過小評価もできない。いったん地にまかれ、芽を吹いた「アルカーイダの影」の払拭には、長い戦いが待っている。

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