在沖米空軍は、墜落事故を起こしたF15戦闘機の飛行訓練を30日から、再開した。「所属するすべてのF15機の点検が終了した」からだという。
墜落事故は2日前の28日に発生したばかり。原因はまだわかっていない。原因不明のまま、安全性に対する地元への丁寧な説明もなく、点検終了のいっぺんの紙切れだけで訓練を再開するというのは、いったいどういう神経か。
2006年1月にF15墜落事故が発生したときも、在沖米空軍は、2日後に訓練を再開している。自衛隊の事故対応や、本土で発生した米軍機事故の対応と比べても、沖縄での事故対応には丁寧さが感じられない。
日本に駐留している以上、日本の文化や習慣などを学び、事故が発生したときには地元住民の不安を解消するため誠意を尽くして対応する-それが、駐留軍の果たすべき最低限の義務である。
かつて嘉手納基地の司令官が爆音被害を訴える住民に対して、「自由(を守るため)の音」だと主張し、ひんしゅくをかったことがある。今風に言えば、「中国から日本を守ってやっているんだぞ」ということになるだろうか。
だが、駐留目的によって事故発生や爆音禍が正当化されたり、住民軽視の事故処理が正当化されるようなことがあってはならない。
日米地位協定は、米軍に対して「公共の安全に妥当な考慮」を払うよう求めている。米軍の行動をしばる貴重な条文だ。これを生かすかどうかは、日本政府の姿勢にかかっている。
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12年7月、民主党政権の下で普天間飛行場へのオスプレイ配備が具体化したとき、野田佳彦首相は「配備は米政府の方針であり、(日本が)どうしろこうしろという話ではない」と、平然と言ってのけた。
米軍との関係では、日本が依然として「半主権国家」であることを一国の総理が自ら認めたようなものだ。
米軍は日米地位協定に基づいて基地の排他的管理権を持ち、事実上、基地の自由使用を保証されている。例えば低空飛行訓練などのように、国内法では認められていないことも、例外的に認められている。
沖縄に米軍専用施設の約74%が集中し、その基地を米軍が自由に使用しているということは、それだけ沖縄が重い負担を背負い続けていることを意味する。
この現実は安倍政権になっても変わらない。もうこの状態は限界だ。
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沖縄は世界的に見ても類例のない「基地の島」である。これほど長期にわたって基地被害に苦しめられ続けてきた島は、世界的に見てもまれである。
誰でも、静かな環境の下で平穏に暮らす権利を持っているが、平和的生存権は国民に平等に分配されているとはいえない。
この問題は、「沖縄の負担軽減」か「抑止力の維持」か、という二者択一の問題ではない。持続可能で公平・公正な安全保障システムをどうつくるかという問題だ。
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