シリアに化学兵器を廃棄させ、国際的に管理するーー。
ロシアのそんな提案に米国が乗ったことで、米軍によるシリア攻撃は当面回避されることになりました。
オバマ米大統領は本音の部分では何とか武力行使を避けたいと思っていたのでしょう。その意味で、ロシア提案は大統領にとって渡りに船だったと言えます。
ただ、オバマ大統領は8月末の時点で、シリアへの懲罰攻撃に踏み切る決断をしたと一度は明言しました。その大統領が結果的に、前言を翻すような形で矛を収めてしまったことは複雑な波紋を広げる可能性があります。
世界全体にとって重大な意味を持つのは、武力行使を先送りしたオバマ大統領が9月10日の演説で強調した次の発言でしょう。
America is not the world’s policeman.
アメリカは世界の警察官ではない。
アメリカは、よかれ悪(あ)しかれ、また好むと好まざるとにかかわらず、その圧倒的な軍事力を背景に、国際ルールを破るような国ににらみをきかす世界の警察官の役割を果たしてきました。
イギリスの週刊誌エコノミストも8月、「世界の警察官」の別の言い方である global cop (グローバル・コップ)という表現を使い、アメリカに関して、次のような見出しの記事を載せました。
Global cop, like it or not
好もうと好むまいと、世界の警察官
アメリカが事実上の警察官役を務めてきたことは、日本を含む世界の安定を維持するうえで大きな力になってきました。
しかし、アフガニスタンやイラクでの戦争に疲れたアメリカ国民の間では、国内の経済や雇用の問題の解決を優先すべきだ、遠い他国での紛争にはもう関わるべきでない、という人が増えています。
「世界の警察官ではない」という大統領の発言は、そんな国内の空気を反映していると言えるでしょう。
大統領は上記の演説で次のようにも述べました。
Terrible things happen across the globe, and it is beyond our means to right every wrong.
恐ろしい事が世界中で起きているが、すべての悪を正すのは我々の力を超えている。
しかし、アメリカが警察官の役割を完全に放棄してしまった場合、世界はどうなるのでしょうか。そのマイナス面は極めて大きいと言えるでしょう。
オバマ大統領もそれは分かっているようです。実際、9月10日の演説では次のようにも指摘しています。
But when, with modest effort and risk, we can stop children from being gassed to death, and thereby make our own children safer over the long run, I believe we should act.
しかし、ほどほどの努力で、大きなリスクもなしに、子供たちが毒ガスで殺されるのを止めることができるのなら、そして、結果として長期的にアメリカの子供たちをより安全にすることができるのなら、我々は行動を起こすべきだと信じている。
この場合の「行動」とは軍事攻撃を指すと考えていいと思います。つまり、条件次第では、アメリカは武力行使に踏み切ることもありうると宣言したのです。
大統領は続いて、以下のように述べています。
That’s what makes America different. That’s what makes us exceptional.
それこそがアメリカを他とは異なる国にしている。それこそが我々を特別な存在にしている。
つまり、アメリカは単なる「普通の国」ではなく、世界の秩序の維持や悪事への懲罰のために行動する「特別な国」でもあると宣言しているのです。「警察官ではない」と言いながら、同じ演説の中で、時と場合によっては事実上の警察官役を果たす覚悟も表明しているのです。
オバマ大統領は一体どうしたいのか、聞く方は少し混乱してしまいます。
この演説については、どっちつかずで優柔不断だという批判もあれば、慎重で現実的だと評価する声もあります。
オバマ大統領自身、アメリカが世界で果たすべき役割について、揺れているのでしょう。
シリア危機は当面、米露などの外交交渉に焦点は移ります。しかし、もしシリアのアサド政権が化学兵器廃棄の合意を守らなかった場合には、軍事攻撃をめぐる議論が再び浮上してくるはずです。その可能性は決して小さくないと思います。
その時、オバマ大統領はどんな決断を下すのか。それはアメリカだけでなく、世界全体に大きな影響を及ぼすことになります。