(社説)最高裁と米軍 司法の闇を放置するな
2014年6月19日05時00分
57年前、米軍の旧立川基地の拡張に反対するデモの中、学生らが敷地内に入った。
日米安保条約にもとづく刑事特別法違反で7人が起訴された。砂川事件である。
東京地裁は、そもそも米軍の駐留が憲法9条に違反するとして無罪を言い渡した。
続いて高裁をとばして審理した最高裁は、その判決を破棄し、差し戻した。罰金2千円の有罪判決が確定した。
最高裁はその際、次のような判断をくだした。
日米安保条約のような高度に政治的な問題に、司法は判断をしない――。
それは「統治行為論」と呼ばれ、いまでも重い判例として強い影響力をもっている。
最近になって、この判決に大きな疑義が持ちあがった。
裁判長だった田中耕太郎最高裁長官が判決に先立ち、米国大使らと会い、裁判の情報を伝えていたというのだ。
大使が本国にあてた複数の公電が米公文書館で公開され、そうした記述が見つかった。
裁判は公平だったといえるのか。政治的に判決が導かれたのではないか。元被告ら4人が今週、裁判のやり直しを請求したのは当然だ。
裁判所はすみやかに再審を開き、何が起きていたか、検証しなければならない。
当時は日米安保条約の改定交渉が大詰めだった。米軍の駐留を違憲とした一審判決の取り消しを、両政府関係者が強く望んだのは想像にかたくない。
そんななか、公電が伝えた田中氏のふるまいは、およそ常軌を逸したものだった。
米側との面談で、審理の時期を漏らしたうえ、一審判決は誤っていた、と述べた。少数意見のない全員一致での判決にしたいと語った、とされる。
公電は、外交官の都合に沿う表現や印象を反映しがちなものではあるが、これは司法の正義が根本から問われる疑義である。本来、最高裁自らがすすんで真実を解明すべきだろう。
半世紀前のことと決して受け流せない。判決は今に至るまで、在日米軍がからむ訴訟で裁判所がことごとく判断を放棄する理由となっている。
統治行為論は、司法に託された立法と行政に対するチェック機能を骨抜きにするという批判がかねて向けられてきた。
むしろ高度な政治問題であるほど国民への影響は大きい。憲法の番人として、司法判断には重い役割が求められる。
判決の正当性が揺らいだいまこそ、問い直さねばならない。
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