Henoko and Litigation Over Execution by Proxy: The Logic for Tossing Aside Differing Views Over Okinawa

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 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認を翁長雄志知事が取り消したのは違法として、国が撤回を求めた代執行訴訟の第1回口頭弁論が福岡高裁那覇支部で開かれた。

 国と県側の訴えを聞くともう打開の余地はなく泥沼の様相だ。国家権力が小さな島に強いる米軍基地。果たして「本土の盾」として必要不可欠なのか、県外、国外移設がなぜできないのか。国民はいま一度「沖縄」に向き合う必要がある。

 弁論で意見陳述に立った翁長氏は、住民を巻き込んだ沖縄戦や、米軍の「銃剣とブルドーザー」で土地を強制接収された沖縄の戦後70年間続く基地負担の実情を強調。「政府は辺野古移設反対の民意にもかかわらず移設を強行している。米軍施政権下と何ら変わらない」と主張した。

 それ以上に「地方自治や民主主義は存在するのか。沖縄にのみ負担を強いる日米安保体制は正常か、国民に問いたい」という言葉の重さをかみしめたい。「民意に反する移設強行は自治権を侵害し、違憲」と真っ向戦う構えだ。

 これに対し、国側は「取り消しを認めれば普天間の危険性は除去されず、日米関係に亀裂を生じさせ、公益を著しく害する」と主張する。国の論理は「そもそも、法定受託事務により一定の権限を与えられたにすぎない県知事が国防や外交に関する重大事項について、その適否を判断する権限はない」のであり、自治体が国に従うのは当然、ということなのだ。

 1996年4月に日米が普天間返還で合意し、99年12月に移転先を辺野古に閣議決定。2013年12月には仲井真弘多前知事が埋め立てを承認した。こうした流れをみれば国の主張は筋が通っているように映る。

 しかし、その後の知事選や名護市長選、衆院選で明確に示された移設反対の民意を無視してもよいのか。米兵の少女暴行や大学敷地へのヘリ墜落など、基地集中による重い負担と忍従の歴史をみれば、「寄り添う」と言いながら無視し続ける国の対応は民主的といえるだろうか。まさに異論排除の安倍政権を象徴する。

 訴訟で裁判所が国側の主張を認めると、国土交通相が知事に代わり処分を撤回する「代執行」が可能になる。つまり知事の権限を取り上げる地方自治法に基づく例外的な措置だ。おかしな法理論だが、政府は「訴訟で負けることはない」と自信を持っている。

 高裁判決が出るまでに数カ月かかる見込みで、政府には来年6月ごろの沖縄県議選や夏の参院選前には司法判断を得ておきたいとの思惑がある。「埋め立て承認に法的瑕疵(かし)はない」と強気一辺倒の政府は、一方で辺野古周辺の3地区に自治体抜きで地域振興費を直接支出する露骨な「分断」と「懐柔」を進める。

 沖縄基地問題の本質を見失ってはいけない。「裁判で問われているのは単に、承認取り消しの是非だけではない」という翁長氏の言葉を国民はどう聞くかだ。

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