An Admirable Statement: U.S. Has “Moral Responsibility” As Sole User of Nuclear Weapons

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社説:米の核兵器使用 「道義的責任」よくぞ明言

 「核兵器を使った唯一の核兵器保有国として米国は行動する道義的責任がある」とオバマ米大統領は言い切った。チェコの首都プラハで「核兵器のない平和で安全な世界」の建設を訴えたのである。

 画期的な演説といえよう。「道義的責任」といっても広島・長崎に原子爆弾を落とした責任を直接認めたのではない。だが、そうではあっても米大統領が自国を「核兵器を使った唯一の国」と規定し、だからこそ核廃絶の先頭に立つと主張する論理は、少なくとも近年の政権には見られなかったものだ。オバマ大統領の率直な姿勢を高く評価したい。

 ブッシュ政権下の07年、当時の久間章生防衛相が原爆投下を「あれで戦争が終わったという頭の整理で、しょうがない」と発言して物議をかもした時、米政府高官らは「広島、長崎に原爆を投下したから米兵100万人が死ななくてすんだ」という論理を展開した。是非はともあれ、これが米国で支配的な考え方だ。

 フセイン・イラク政権を「化学兵器で自国民を殺した」などと非難する米国も、自国がプルトニウム型とウラン型の2発の原爆を日本に落とした事実には言及したがらない。一般市民への大量破壊兵器使用を正当化しきれなければ、米国は歴史的に大きな責任を負うからだろう。

 しかし、難しい責任論などはさておき、私たちは素朴な願いを口にしたい。オバマ大統領はぜひ、広島や長崎の原爆忌に列席してほしい。「核なき世界」をめざす旅は、その恐ろしい兵器によって命を奪われた人々への鎮魂から始まると信じるからだ。「100万人救済説」は米国のイメージをゆがめるだけだろう。

 オバマ大統領は核実験全面禁止条約(CTBT)の批准を米議会に働きかけ、核の安全をめぐる国際サミット開催にも努める意向を表明した。CTBTは同じ民主党のクリントン政権が支持したが、共和党主導の上院が99年に批准を否決した。

 また核兵器保有を5カ国に限定する核拡散防止条約(NPT)の体制強化と、兵器用核分裂性物質の生産禁止に関する「カットオフ条約」の交渉開始もめざすという。いずれの政策も歓迎したい。

 NPTの枠外で核兵器を保有したインドやパキスタンや、大量の核弾頭を持つとされるイスラエルの非核化を図るのは容易ではない。しかし、米国が率先して世界の核軍縮を進めることは、北朝鮮やイランの核兵器保有を阻む国際的な動きにもつながるだろう。

 「脱核兵器」は複数の元米政府高官も提唱している。「世界は変えられる」というオバマ大統領の呼びかけに、「イエス・ウィ・キャン」の唱和が広がることを期待する。

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