歴史と社会の構造に根ざす問題が噴出するとき、政府が心すべきは謙抑的な対応である。力による封じ込めは、およそ民主主義国と呼べる道ではない。
米ミネソタ州で白人警官が黒人男性に暴行して死なせた事件を機に、全米の都市でデモが起きている。60年代のキング牧師暗殺以来の事態だという。
一部が暴徒化したことを受けてトランプ大統領は「国内テロだ」と非難した。連邦政府として米軍の投入も辞さない強硬姿勢を示している。
暴力や略奪は決して容認されない。治安の回復は必要だが、一方でほとんどのデモは平和的なものだ。人々の憤りの根源を直視せず、抑止だけを強調するのは多くの善良な国民を敵視し、分断を助長する行為でしかない。
米政府と議会は抗議に耳を傾け、なぜこうした事件が繰り返されるのか、何を改革すべきかを語るべきだ。国民に武力をふるう暴挙に出てはならない。
背景にある人種差別の根は深い。米国では大戦後も、南部諸州を中心に差別が公然と制度化されていた。50~60年代の公民権運動が弾圧にくじけず、法的差別の撤廃を勝ち取った。
しかし不平等は今も厳然とある。全米有色人地位向上協会によると、黒人の投獄率は白人の5倍に及ぶ。その一方で求職活動では、犯罪歴のある白人男性の方が、犯罪歴のない黒人男性よりも面接を受けられるチャンスが大きいという。
コロナ禍により米国では10万人超が亡くなったが、そのうち黒人の比率は人口比より突出して高い。積年の差別をコロナ禍が顕在化させ、そこに事件が着火したのだろう。
黒人の命を守れ、との掛け声をデモは続けるが、参加者は人種や世代を越えている。警官が共感を示す動きも各地で伝えられ、死亡した被害男性の弟は平和的な行動を呼びかけた。
トランプ氏のように社会の断層に乗じるポピュリズムが目立つ一方で、連帯を志向する新たな市民意識の熟成も進む。その相反する潮流の相克のなかに、悩める米国社会がある。
「今このときを真のチェンジへの節目とするには」との論文で、オバマ前大統領が若者に呼びかけている。街頭で声を上げよう、そして地元の選挙の際に投票に行こう。抗議と政治参加の両輪がそろってこそ変革は成しうるものだ、と。
この米国の運動に、欧州や豪州、アフリカなどでも同調する動きが出ている。経済格差であれ、移民問題であれ、公正さを求める若者らが瞬く間に共鳴し合っているとすれば、それもグローバル化時代の断面だろう。
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